蠅の女王

小倉涌 画家 美術家 アーティスト 歴史画

癌転移、抗ガン剤点滴18日入院で退院す。

 2月10日に肝臓と骨へのガン転移のため緊急入院し、2月28日に退院の運びとなりました。えーっと、前回も書きましたが、よくこんな広がってしまったガンに罹って、この日数で退院出来るもんだなあと改めて医療の進歩に驚きます。2〜4人の医師によって治療方針というか「ガン攻略方法」が練られてるのをみると、攻略頑張ってくださいとしか。攻略法の話しか出てこないので、まあそんなに不安にはならずささと自分の仕事に戻っています。

 病院で撮ったCT画像ここに上げようかと思ったけど、グロ画像なんで自粛しますw
 改めて病状を書くと、肝臓全体に大小複数のガンがびっしり出来てしまい(!)、服の上からも肝臓の膨らみがはっきり分かるほどに。しかも背骨にも複数のガンの転移(!!) 初心者なら、これ見せられると、ゴンドラの唄歌う前に泡吹いて卒倒するレベルですね。
 骨の転移のせいで腰が痛く、今までなら何でもなかった重さの荷物や段差でも、腰にズンっときたりする日々です。骨への転移の抗ガン剤も今後あるかもなので、長期化するのかな。外科手術ではなく、抗ガン剤と分子標的薬の一種を投与する治療から始まり、今、すでに抗癌剤3クール目を過ぎ、やっと伸びた髪の毛が昨日からまたも抜けつつあります。

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 検査で転移が判明する前、12月後半から異様な膨満感と呼吸器や消化器の圧迫感として自覚症状があり、これを「胃炎」と解して近所のクリニックで胃用の薬で正月休みを挟んで1ヶ月以上対応し続けてたのですが、ようやく2月前半にこれが癌だったと判明。この間、食欲もかなり落ちて6kg痩せてしまい、「急に90歳以上の老人になったよう」とTwitterでも表してきましたが、息が切れたりとにかく体が重くて通常の10分の1の早さでしか動作が出来ないといった症状に悩まされていまして、そのため前回の抗ガン剤に耐えられたほどの体力が、体力消耗したため、期待出来ないのではないかが心配。

 退院しても、白血球値が下がってるため、家でしばらく安静にしていないといけないのですが、しかし、食うために昨年から考えてた講座の企画を制作しないといけない、他色々、目の前にタスクが。治療続けつつ、次の性風俗と法秩序(仮名)シリーズの準備と制作を進め、『二月革命』シリーズに負けじと劣らない秀作にするよう、相も変わらぬ長い長い旅を歩いていくだけですね。まだシリーズ制作の構想段階では、気分はほんと、三蔵法師ですよ。

またもガンの転移。悪相なのが私を急襲中

専門医の通語で「顔つきの悪いガン」という言い方があるようですが、まさに今回再度見舞われた転移はどんなふてぶてしい面をしてるやら、しかし自分の人生観からすぐ思い描く悪人像は、愛嬌は良くて正義よりも義理人情を他人に優先させるという、スコセッシ監督の『沈黙』に出てきたイッセー尾形松井一郎大阪府知事みたいな人でして、そういうのともまた違うよなあとか、などと枕で余計なことを書いておりますが、


はい、私はまたも癌に見舞われ、入院先の病床でこれを書いてます。
今度のはおそらくここ3ヶ月ほどで急に出現して、私の肝臓を覆い、背骨の一部にも広がったという恐るべき早業を見せられました。これが運悪く定期検診の時期に引っかからなかった知らぬ間に増殖して、体調不良や食欲不振といった自覚症状が12月後半から始まったのですが、私も医師も胃炎と考えてました。

で、肝臓が癌の巣窟になって膨らんで胃や他の臓器が圧迫されてて苦しかったのだということが検査で判明し、外科手術で取るというよりまず化学療法、との方針が示されました。この時のCTスキャンの画像見たら、一昔前なら、思わず公園行ってブランコ漕いで「ゴンドラの唄」でも歌うしかないだろという、自分の臓器が猛威振るわれてたわけですが、ガンも3度目ならあまり狼狽えることもなく「わー、こんな凄いガンでどんな最新治療が繰り出されるんだろーオプジーボもあるのかな」というよな、
ま、これは少々強気を盛ってますけど。

問題は、初めてのガン・2度目のガンでは「元気なガン患者」でいられたのですが、この2ヶ月で体力が奪われており闘病は堪えるんではないか、未知数なこと。

次に高額治療になったらどうするか。また貯金を崩すことになる。。

3つ目に、今度の抗癌剤の副作用に「手足の痺れ」があること。これは絵描きには稼ぎの手段を封じられることで、なんとか副作用が小さく治ってほしいもの。

4つ目、今回の治療が長期化したらどうするか漠然と心配。ガンの次に肝硬変の可能性もあります。

5つ目、もし死ぬなど最悪の事態を一応考え、成年後見人などを司法書士にお願いすることとなり。これは、私の作品を死後もどこかで守ってもらえるよう、手助けしてもらうため。敢えてここで訴えておきます。最初のガンのおりから、死後の作品の行く末については頭を悩ましたものです。主に死後のお金の相談でしたが、ここでは書けません。


とまあ色々ありますが、次回は性風俗と法秩序、その次は日本の明治政府の風致政策かソヴィエト下の芸術家について、と案はやりたいいくらもあって、2次元の絵画でまだこれだけ表現やれることをまだ見せていきたい。と思っています。

11月からすでに性風俗営業関連であたまいっぱいの私

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あけましておめでとうございます。
今年は年賀状を休みまして不調法致しております。
11月から、風営法‪・売防法‬関連の本や映像を観ていって、構想のインプット作業に励んでおります。
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こちらも早速勉強になりました。

さいごの色街 飛田

さいごの色街 飛田


まだ勉強中にかかわらず、今、次次回の構想について話をするのもアレですが(鬼が来るんでしょうか)、またソ連に戻るか、日本の近代を続けてやるか、という感じです。


本年度もご贔屓ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。

展覧会の感想をTwilogから発掘する(六.五)藤田嗣治展

今年のシメに、今年行った美術展をいくつかピックアップしておく。その2

没後50年 藤田嗣治展 (2018年10月 東京都美術館

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藤田嗣治回顧展の感想をボチボチと連投。
藤田の父親がソウルで軍の偉いさんだったのだが、26歳、渡仏する直前にソウルへ行って、オーソドックスな画風で田舎の油彩風景を描いていた。藝大時代よりもグッと明るい仕上がりにしていて、絵の具を濁らせず、影部も黒や土系の絵の具をあまり使ってなかった
2018年10月10日

1913年 『朝鮮風景』

この風景画、何の変哲も無いけど、のちのキュビズム時代よりも丁寧に描かれている。藝大でどう教わってたのか一端を知るような感じだった。よく言われる「黒田清輝が誤った油彩画を教えて云々」の特徴が、この絵には現れていない。


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乳白色の時代ごろになると使う色数をかなり抑えるようになるが、この時はとりあえず色は沢山使ってて、うるさいと思えるほどではないけど。この後、27歳でキュビズム時代に入ると色が濁り出して、乳白色に墨の時代に突入する直前まで色は暗かったり淀んだ状態が続く
2018年10月10日

1918年 『パリ風景』東京国立近代美術館

一応、初期は物資の苦労はしてたのかなあという気もしないでもない。分からんけど。絵の具の選択にこだわりが出てないのだよぬ


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藤田嗣治:31歳の時に描いたモンマルトルの街の風景画(画像は検索出てこなかった)この辺でグンとブレイクスルーしたような感があった。それまでの絵では、人物描いてても顔がキマってないなあとか、黒色絵の具にこだわりがまだ無さそうとかあって、このモンマルトルの絵で、黒使いの個性が出てきてる
2018年10月10日

このモンマルトルの絵がなぜか図録にも載ってないのだが、
乳白色以前の藤田が模索中だった頃の「キマってない人物像」というのは、例えば以下の作品、これらは展覧会図録から。この頃は、人物造形が未熟で誰かの作風をとって付けたような感じがある。
上:1914年 ‘Portrait of Ms. Chantal’、下:1917年 ‘Three young women’

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藤田嗣治:モンマルトルの風景画、いわばユトリロみたいではあるが、白地の白の綺麗さや、白地に溶け込むよう描かれたサクレ=クール寺院、それに対して黒いシルエットで描いた街路樹との対比、というのを意識してる感じ。
2018年10月10日

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藤田嗣治:あ、その前の30歳の時、パリで大和絵プラスギリシャの壁画を取り混ぜたような人物を描いてて、この時すでに油性に墨を併せ使いするというウルトラC(死語)をしてる。油性と水溶性を同じ画面で使うのは、ちゃんと定着しないので誰もやらない。藤田がなぜこれを可能にしたかは最近明らかに。
2018年10月10日

藤田の独自技法についてはこの本参考に。
藤田嗣治の絵画技法に迫る:修復現場からの報告

藤田嗣治の絵画技法に迫る:修復現場からの報告

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藤田嗣治:この「油地の上に墨」技法初頭期に描いた大和絵ギリシャ風な絵は、色数が多くて色彩センスはあまり洗練されてない印象はあった。かつ人物の顔はモディリアニにも似ていて、ちょうど1917年にモディリアニを扱う画商と契約したというところが面白い。
2018年10月10日

1918年 『目隠し遊び』

人物造形はどうしてもモジリアニ風に見えるよぬ。色数が無駄に多く配色センスが幼稚な感じがする。原色の赤青緑をあまり考え無しに置いてるなと思う。後年の洗練された色のセンスからしたら、こんな時期もあったのだなあと感慨深いものがある。

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藤田嗣治:1918年31歳の、食材用の死んだ兎とネギを並べた台所の静物画、ここで、藤田の特有の色彩センスが完成されてる。油地に墨、色数は抑えてる。この時の絵で、西欧木造建築の漆喰による白壁から、のちの白地を生かす技法に気づいていったんだなと思った。多分。
2018年10月10日

 これも、図録にも掲載されていず、検索でも探したが見当たらない。いい絵でした。


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藤田嗣治:1919年『私の部屋』、ここで完璧に出来上がってた。これぞ藤田の色彩、藤田の描線、藤田による技法、藤田の乙女チックラブリーな世界。クロスの浅いローズ色の愛らしさ。アンティークの木製チェストは墨で木目を丹念に描いてる。輪郭の墨の描線はペンで引いたように細い。完成度が高い作品
2018年10月10日

1921年 『私の部屋』(ポンピドゥーセンター蔵)

 白描を全面に出してやっていく段階に至って、色彩のセンスもグンと洗練度が上がった。これは下地のマチエールも丁寧で、しみじみと良い作品だった。


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藤田嗣治:1922年の肖像画。実際にかなり自身のファッションセンスが磨かれたのか、色彩の配置にも成功してる。セルリアンブルーのシノワズリーのドレスに大きな翡翠のペンダント、翡翠色のシフォンらしきブラウスの袖、翡翠色のストッキング!そんな色のストッキングがあったのか?
2018年10月10日

1922年 "Portrait of Emily Crane Cbadbourne" シカゴ美術館蔵

 油彩で白描やる独自手法にたどり着く以前は、決して色彩センスが良い人ではなかったように思う。色彩センスが悪い、というのは、例えば色に対するテーマが絞れてなくて何でも手当たり次第盛り込んでしまうとか、彩度明度の違いを考えずに配色してしまうとか。色彩センスだけは、色んなコツを身につけるだけで誰でも向上する能力ではある。あと、絵画で言えば、絵の具の品質に対するこだわりは大事で、色さえつけば何でも良いというわけにはいかない。


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藤田嗣治:1923年のラブリーな裸婦画。お腹ポンポコリンの猫。藤田好みの彩度低めのローズピンクが背景の壁紙(このデザインも良い)にも裸婦の肌にも使われている。シーツの皺は墨で表現され、この独自の技法も完成されている。この時、地塗りは完全に平滑な塗り、以前のはマチエールつけていたのだが
2018年10月10日

1923年 『タピストリーの女』京都国立近代美術館

 これもモデルとの親しみの情だったり温かいものが感じられて、いつ見ても微笑ましい良い絵だと思う。人物造形についても、この時はもう完成されていて、手法も人物も藤田オリジナルがしっかり出来上がっていてもう迷いがなくなった感じ。


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藤田嗣治:墨使いや地塗りといった独自技法だけでなく、個々の猫の個性、モデル女性の個性、インテリアやファッションにも細かく考えて描いてるのが分かる。
2018年10月10日


 ここから感想にかこつけて自分の話をしだす私w

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藤田嗣治:先日の個展で若いお客さんに言われたこの藝大臭wについて観ながら考えてたのだが、テンペラの場合は半水溶性半油性のエマルジョンだが、油性だけを使わない利点というのは大きいなと。藤田の若い時からパリ時代までの変遷を追って観てても改めて思うのだった。
2018年10月10日


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この個展での会話の時、「テンペラ使わなくても、油彩だけでも描けますよね?」と訊かれて「描こうと思ったらそりゃかけるでしょうけど」と答えたのだが、水性や半水溶性だと、クッキリとした線描の表現が出来るのと、ハッチングはやはり画面がカチッと締まるの。油性だけで仕上げると全体がぼやける
2018年10月10日

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藤田嗣治:藤田も、油性絵の具だけでやってたのを経て、水性画材との併用に変わったが、線の表現がそれで可能になった。
そういえば、昔の知り合いで、ハッチングで描かれた人物は怖いから見たくないという人がいて、ハッチング人物画恐怖というのがあるのかと思ったものだ笑
2018年10月10日

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私がテンペラ油彩を勉強したのはデルナーというドイツ人が戦前に書いた本で、藝大由来というより、まあなに由来なのか。訳したのは佐藤一郎というテンペラ界の有名人だが、邦訳者と著者というのは違う。あと美大教育の弊害みたいな話には、全然ピンとこないよ派
2018年10月10日

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若いお客さんでなぜか「黒田清輝以来ヘンな油彩技法の日本」という逸話を語る人が3人いて、東京ではまずこの話からするのかという発見w「だから日本で油彩を学ぶのは難しい」と言う人もいて、それは関係無いだろうと。ヨーロッパの古今の油彩なんて都市部で年中見られるし、美術って半分は観て学ぶもの
2018年10月10日

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古今の先達者の油彩作品をたくさん観てさえいたら、別に黒田清輝云々は関係なく無いか?
2018年10月10日

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デルナーの技法書が良かったのは、ルーベンスに軸をおいて解説してたこと。ルーベンスは、習作や未完成作をたくさん残していて、完成までの途中経過がわかりやすい作家なのだ。日本でも観られる機会が多いしね。
2018年10月10日

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残りは、今日はもう遅いからまた明日。戦争画の話題は散々したのでとばす
2018年10月10日


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藤田嗣治:油彩だけで描かない利点・水溶性の絵の具と併用する利点というのは、この1923年に描かれた猫絵の小品の繊細さからも分かる。画像では分かりにくいが、白い油彩の絵の具と墨だけで、あとは極僅かな色味を感じさせるのみ。面相筆で、グラフィカルとも言える細く抑揚無くひいた墨線、
2018年10月11日


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藤田嗣治:その代わりに、ボカシ筆で温かい感じで陰影を墨で表現してる。描線はキリリと冷たく、陰影は温かく。これを墨で表現してる。ふつう、こうしたシンプルな小品は紙に描こうとするだろう、が、藤田オリジナルの併用画法を敢えて使うと。白地は平滑に綺麗に塗られた油彩で落ち着いた光沢がある
2018年10月11日

 画家の方と話したことがあるが、猫を描いた絵画に関しては、藤田の手法が群を抜いて猫らしい


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藤田嗣治:1930年に中南米周遊に出てるが、旅先では油彩のみのと水彩のみの作品を残してる。油彩のみで描かれたこの風俗画は、悪くもないけど、墨の併用で描いた作品と比べると、藤田の個性が死んでて精細に欠けてる。中南米社会主義美術に触発されて目先変えようとしてみてるんだろうけど
2018年10月11日


 藤田の場合、油彩のみだと急に精彩に欠けるようになる。構図や色は、パリ初期のキュビズム時代と比べて良いけど。

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藤田嗣治:一方で、紙に水溶性絵の具のみで描かれた風俗画は、油彩のみの時と違って、唸るほど完成度高い。藤田嗣治はやはり、水溶性絵の具の特質あってこその画家だと思う
2018年10月11日

1933年『ラマと4人の人物』三重県立美術館蔵

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藤田嗣治:油彩のみで描くと精細さに欠けていくという傾向は、のちの戦争画にも特徴として出てたかと。
2018年10月11日

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藤田嗣治:メキシコ時代の水彩画は、漂白されてない紙を選んで使ったと思いきや、どうも白い部位は塗り残してるのかなという感じで、茶系で地塗りをしてるのかも。白地時代とは違う手法に挑戦してるが、近代日本画の絹本の作品で、こういう地の色にしてる作例をよく見るので、日本画を参照にしてるかも
2018年10月11日

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藤田嗣治:この有名な寓意画は1940年作か。日本に帰ってからだよな。まだ絵の具の備蓄があったのか(もしくは戦時中は出し惜しんで持ってたか)、藤田ならではの絵の具へのこだわりも復活。背景の黒は、「花のブリューゲル」の背景の様に、透層用の白を混ぜてしっとりさせている。
これは名作ですよぬ
2018年10月11日


 花のブリューゲルが背景の黒色に混ぜたのは、クレムス白といいまして。


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藤田嗣治:戦後、シレッとこんな可愛い作品を描き出して、何なんだこいつはと改めて人間性疑うわなw 裸婦の方、周りの擬人化した動物の服の着方が、ちょうど3歳くらいの幼児が自分でパジャマ着たような、絶妙な雰囲気を出していて、実に巧いというか可愛いというか。可愛い絵だけ描いてりゃ良いのに。
2018年10月11日


人間性疑うというのは、いろいろ過去記事に書いたりしたけどw 藤田君はおバカさんだけど、絵描きとしては好きなのだった。



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藤田嗣治:戦中と戦後でシレッと題材変えるのは、藤田という人が大局で先を見通すような能には欠けてて、深く思い詰めて内省するタイプでもなく、その時の細々とした愛らしい物との生活感で制作していく方に向いてたからだが。
戦後、カトリックに入信して描いた宗教画も、皮肉にも大変良い作品である
2018年10月11日


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藤田嗣治:多少、忸怩たる思いがあって入信に至ったんだろうけど。戦後に手のひら返しでGIと交際してふざけて写真撮るような良い加減な人が、こんな良い聖母の顔が描けるなんて、皮肉なもんだなあと思う。ここまで完成度高い聖母もなかなか無い。衣襞の造形は、北方ルネサンスの木像を想起させる。
2018年10月11日


この聖母の人物造形は、ほんとに素晴らしい。

藤田くん、良い加減なヤツだけど、君のことココロの友達だと思ってるよ

展覧会の感想をTwilogから発掘する(六)デュシャンから東山魁夷まで

今年のシメに、今年行った美術展をいくつかピックアップしておきます。
なんかね、藤田嗣治展の記事を一緒にここに入れるとCSS表示が崩れるので(何がいけないのかよく精査したが全く分からない)(?_?)分離して頁を別々にします。↓
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マルセル・デュシャンと日本美術展 (2018年11月 東京国立博物館平成館)

www.tnm.jp
撮影可の展示だったので、自分のカメラで撮ったものを紹介していきます。


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デュシャン展:色んな時代の代表作をまとめて観て思ったのは、デュシャンて凄くセンスの良い人だったんだなというのが先ず。キュビズム時代の、この有名な「階段を降りる人体」ですか、これも絵画としての見応えがしっかりとあって、キュビズム絵画でほとんど初めて「良い」と思えたよ。
2018年12月5日

上:1912年『階段を降りるヌード NO.2』 下:1912年『急速な裸体たちに囲まれたとクイーン』

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デュシャン展:センスが良いというのは、ファッションセンスが良いとか色彩のセンスが良いというようなセンスの良さ。一般に広くイメージされてる「破壊した人」というのではなく、ちゃんとレイアウトや鑑賞に耐えるマチエールの美しさとかを考えてやってる人だよ。
2018年12月5日

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デュシャン展:有名な大ガラス、これも美術品として「あ、良いやん」と思わせる作り込み。当時、これが美術品だという評価は得られにくかっただろうけど、今見たら紛れもなく美術だよぬ。この裏は、錫なのかな、なんだろ。素材の良さも評価できる
2018年12月5日

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デュシャン展:大ガラス、1980年の瀧口修造東野芳明監修による復元の展示だったのね、そうだわなオリジナルは割れちゃったもんね。
東大の美術館にあるデュシャン作品も綺麗だよね
2018年12月5日

『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』(通称大ガラス)1980年複製、オリジナルは1915−23年


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デュシャン展:これも有名な絵画、チョコレート磨砕機なる機械が向こうにはあるらしくそれを写してるわけだが、ミクストメディアのコラージュ作品でもあるのね。非常にセンスの良い洗練された絵画。この人、まともに美術家だよぬ
2018年12月5日

『チョコレート磨砕器 NO.2』1914年

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デュシャン展:この今でいうコンセプチュアルアートになるのか、お宝の箱の作品。1935年から41年か、この時代にこんなセンス良いことをやってのけるところに、嫉妬しかないわ。三枚目のメールアートも、可愛いじゃろ。
2018年12月5日

マルセル・デュシャンあるいはローズ・セラヴィの、または、による』1935 - 1941年、1963 - 1965年(内容)。シリーズF、1966年版


1915年 "The"

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デュシャン展:エロスがどうのこうの、テーマにあるそうだが、正直この人の作品からエロスの追求なんかどうでも良い感じはする(ぉい と言いつつ、私も次回テーマ、デュシャンみたいな捻り方してしまいそうで、引きずられないよう、しっかり考えないといけない
2018年12月5日



ピエール・ボナール展 (2018年11月 国立新美術館

bonnard2018.exhn.jp

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ボナール展:「ボナールって確か好きじゃないタイプの絵描きだった」という曖昧な区分だけがずっとあって、もしかして食わず嫌いだったかもしれないから観てみることにした。果たして、半分見込違い、半分自分の記憶は合ってた。作者の詳しい履歴は全く知らないが、1990年頃より前と後とで、作品が違う
2018年12月5日

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ボナール展:ボナールは1867年生まれで1990年頃だとまだ若者。1888年ナビ派という画家のグループが現れボナールはその代表的な画家、セザンヌなどを尊敬してたと。ふむほむ、この時代のモダニズム画家は、あまり好きなのがいなくてナビ派というグループについては今、ウィキペディアを参照したが
2018年12月5日

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ボナール展:セザンヌへの憧れらしきものがボナールの絵に表れてから、それまでの絵にあった幸福感が見られなくなっていった。私にとっては、ボナールによるモダニズム絵画としての試みは退屈で、基本的にアーティストとしては特異な人でもなかったのに、背伸びしてるように思えた。
2018年12月5日

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ボナール展:若い時代の彼の作品の良さは、対象に対する個人的な細やかな情や愛がにじみ出ているところにあった。多分、それほど腕の立つタイプの絵描きではないし、セザンヌデュシャンのように目から鼻へ抜けるようなセンスもないし、異彩を放つ人ではなく
2018年12月5日

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ボナール展:本来は、日常の細やかなことや幸福感によってしみじみとくる絵を描いていたタイプではなかったのかと。そういう意味では私の中ではどこか藤田嗣治に通じるものがある。この自分の妹を描いた絵なんかは本当に、良い絵だった。ブラウスのいかにも愛らしいローズ色、藤田も好んだ色だったな
2018年12月5日

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ボナール展:ローズ色と白色の対比が美しいブラウスの描写。スカートの赤と背景の緑が暖かい。人物描写も良い。特に顔や手の描き方に対象への愛がこもってる。生成色の下地を活かした柔らかなタッチ。絵の幸福感が微笑ましい
2018年12月5日

上:1892年『格子柄のブラウス』 下:1890年『アンドレ・ボナール嬢の肖像、画家の妹』

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ボナール展:画家本人と恋人との事後を描いた絵。人体のデッサンの未熟さが目につく。背景の壁が暗いワイン色で、そのワイン色を肌の影として活かし人物を浮き立たせて描こうとしているが上手くない。しかし、格子柄のクロスとその上に乗った仔猫2匹の後ろ姿を置いた、左下部分は素晴らしく成功してる
2018年12月5日

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ボナール展:この恋人との自画像、左下隅なんかは、フェルメールのいわゆる「光の粒」を彷彿とするようなこころみをあいてあって、それが美しく描かれている。少し差し色でサーモンピンクを置いてるのもちゃんと効いてる
2018年12月5日

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ボナール展:1893年の小品。単純化したシルエット的な人物造形だが、温かい柔らかなタッチで、少女の可憐さがよく表現されている。先程の3点もそうだが、画家が楽しんで描いてるというのが伝わってくる。絵の具を塗るのが楽しい、自分が愛おしいものを形づくるのが楽しい。
2018年12月5日

1893年『黒いストッキングの少女』

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ボナール展:1891年から97年までのグラフィックデザイナーとしての仕事の展示もあったが、人物のデフォルメの下手さが目につく。構成もさほど変わったところもなく
2018年12月5日

上:1894年リトグラフ"La Revue Blanche " 下:1891年リトグラフ”France - Champagne"

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ボナール展:1907年から1935年までの水浴する裸婦像のシリーズが一室で集められていた。ここに至るとセザンヌからの感化は見てとれるが、画面には、かつてあった絵の具へのフェティッシュがもう無い。裸婦といってもあまりに変哲の無さで私にはもう、どの絵が掛かってたんだか、印象に残ってない。
2018年12月5日

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こういうのは実物の画面を見ないと、画像では確認できることでは無いんで
2018年12月5日

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ボナール展:あ、そうだ、ポスターにあった丸テーブルに人物と猫の絵とか、1905年から43年にかけての家庭内の日常を描いた作品群も、なんかパッとしない。一つに、絵の具へのフェティッシュが無いからだろなあと思ったりする。絵画としての見所が無いというか。元々巧い絵描きでもないからなあ
2018年12月5日

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ボナール展:風景も同じく、どの絵だったかもうよう分からん。記憶に残ってない。
この時の新美術館特別展は、記憶に残らない絵頂上決戦をやってたのだろうか?
2018年12月5日



東山魁夷展 (2018年11月 国立新美術館

bijutsutecho.com

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先ず東山魁夷展感想から。すごく有名なのに自分の中で印象がまるで無い、つまりこんなに記憶に残らない画家だったのかと今回改めて気付かされた。私の脳内では「何で評価されてるのかよく分からないアーティストランキング」というのがあって、新たに彼の名が刻印された。
2018年12月4日

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東山魁夷:遠くから見ても近づいて見てもなんの工夫も見えてこないのが特徴のような風景画。といってオーソドックスというではないし、とにかく愚直に描いてるんだ、に尽きる。愚直って、私にとってはただの批判用語
2018年12月4日

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東山魁夷展:殆どのミュージアムが休館日の月曜日に東京にいたから入って観ただけで、そうでなかったら一生観ることもない機会、といえる。ただ、一点良いなと思ったのが、代表作の唐招提寺障壁画。
2018年12月4日

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東山魁夷唐招提寺障壁画、鑑真和上にちなんだ風景画になっている。鑑真が布教のため海を渡って唐から日本に渡って来たが、何度も渡航に失敗して船が沈み、仲間も殉職し、自身は失明までしたのは、皆さん学校で習ったでしょう。
絵の描き方としては素直で特に特徴的なものはない。全体の構成は的確。
2018年12月4日

1975年 唐招提寺御影堂障壁画『濤声』

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東山魁夷:鑑真ら渡来僧の布教のための営為、東アジア初期の仏教の戒律への厳格さ、そういった背景がちゃんと絵画になってる。描く意味さえ与えられたら、こんなに良い作品が描けるのだ、ということ。誰かが「その絵」を描くことにちゃんと由縁があることの良さがこう端的に出た作品も、珍しいのでは。
2018年12月4日

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東山魁夷:鑑真に由来する作品を唐招提寺の障壁画としてオファーされる、美術としてはこれ以上ないサイトスペシフィックで、的確で極シンプルな構成で、素朴な絵描きが仕事をして、結果的に成功しているというこの状況。これを観られただけで、入って良かった展覧会であった。
2018年12月4日

 
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可愛いは作れるのと同じように、作品を作る由縁も努力したら作れるの
2018年12月4日

ほんま。



平家物語 一の谷・屋島合戦図屏風 複製展示(2018年11月 東京国立博物館

www.tnm.jp

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東博で、大英博物館所蔵の平家物語合戦図屏風の複製の展示があった。そうとは知らずに入ったが、ガラス無し、近くに寄って細かい描写を観られるためことのほかこの良かった。オリジナルをスキャンしてデジタルデータにして、その上に金箔を施している。今の高精度のインクジェット印刷は侮れんからなあ
2018年12月5日

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東博:この合戦図屏風、構成も細部の造形も素晴らしい名品だが人物も騎馬も小さく描き込まれているため、オリジナルの展示だとあまり近寄って観ることは叶わないから細部は視えないわけで、この複製による展示は意義深いと思う。照明は行灯のように温白色で下から照らし、時々明るさを落とすという演出
2018年12月5日

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東博:ま、ぐっと近寄るとこれは印刷だなというのはわかる、絵描きならば。東博GJって、アンケート用紙には書いて出しといた。
2018年12月5日

 キャプション見たら分かるのだが、屏風をスキャンしてデジタルデータにして高精細出力後、箔工芸の職人さんによって金箔をほどこしてある。かなり近くで観なければ、全く遜色がない出来栄えだった。こうした文化財障壁画の高精度のダミー展示は、京都の寺院でも行われていて、景観に遜色が無ければ全く問題ないと思うし、むしろ拝観者も多くなった今、我々も安心出来るので賛成だ。

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今回は以上で。ではでは。