蠅の女王

小倉涌 画家 美術家 アーティスト 歴史画

100号大作の仕上げワニス塗りと、近況報告の私

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  ↑これは、作者が具合悪いのを圧して横たわったまま根性で絵を描いているところではありません。下から仰ぎ見て、光の照り返しを頼りに、仕上げワニス(varnish 保護ワニス)を薄くムラなくまんべんなく塗布しているところです。撮影は、作品の移動のために手伝いをお願いした友人氏が撮って下さいました。

昨年秋、個展で発表した『二月革命』シリーズの大作4点を、今ワニス引きしてるのです。

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仕上げワニスとは (その1) 

  仕上げワニスとは、第一に描画を保護するための膜の役割をします。外気中の幾種かのガスと微粒子やホコリ、光線から画面を守るために必要です。第二には、絵の具の艶をある程度均一にするため。画面保護が主な目的ですね。このワニスは経年で黄変し劣化していきますが、後世に亘りこの作品が大事にされたなら、人の手によってこの古いワニス膜だけ拭き取られ、また新たに保護ワニスが塗布されることでしょう。

  さらに仕上げワニスというのは、油絵の具の乾燥を半年以上待ってからでないと塗布出来ません。なので、絵を描き上げてすぐが本当の作品完成では、ないのです(^_^;)  もし、ギャラリー等で展示された時点でどなたかに買い上げされた場合、

「半年後にお宅へワニスを塗りに伺うことになります、もしくは作品のお渡しを半年先にしても良いですか」

と説明して選択肢を提示しないといけない。幸い(?)そのような事態には今までならなくて、買い上げられた油彩テンペラ作品は全て、保護ワニスをちゃんと塗った状態のものばかりでした。もし海外のコレクターさんなら、お宅まで行くのも大変だなあと、いつも考えてます。

 

仕上げワニスについて。(その2)1983年の『別冊 美術手帖    材料+道具総カタログ  油絵のマテリアル』 歌田眞介の解説より 

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   上の事例記事は、1878年明治11年)に描かれた百武兼行という画家の『母と子』という油彩画で、その修復を1974年に請けた著者がリポートしたもの。左上写真では、古くなって黄変したワニスが部分的に除去され、そこに明るい描画画面が現れています。

 

(一部抜粋)

 

  さて、子供の頭上にワニスの塗布されていない部分があった。写真3(右下)の、灰色に見える楕円の部分である。写真4(左下)は、周辺のワニスを除去したときのものである。ワニスがなかった部分はこのように絵具が変色してしまったのである。もし、この作品にワニスが塗布してなかったら、全体がこの部分のように変色してしまって、当初の印象とはまったくちがったものになってしまっていたろう。

   変色部分を顕微鏡で観察すると、表面だけ変色し、内部は変化がなかった。このことから絵具の化学的変色ではなく、有害なガスか光線による変色であると考えられる。

 

   そして、作品の裏側にワニスを塗布した年月日とワニスの種類を書き記しておき、あとは後世の人の善意に託すしかありませんね。

 

 

近況

  さて、抗ガン剤の治療が入院中の2月に始まって、今も続いており、またも頭髪をすっかり無くす羽目に至りましたが、体調はV字回復し、先週頃からやっと、ほぼ元通りの調子だと言って良いけれど、抗がん剤の副作用で抵抗力が落ちておりまして、ふとしたことで風邪をひきやすかったり疲れるところがあり、遠出はしばらく控えています。

  髪が元通りになるのはいつになるか、まだ分からないですが、この夏、頭部を覆う医療用帽子をどうするか問題。前回の転移癌での抗癌剤のときに、Etsyで海外の出品者から買ったのをまだ使ってますが、デザインは良かったけどジャージ生地だったので、夏にかぶるととにかく暑かった。

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  海外通販で医療帽探すなら「canser cap」 「chemo cap」「hair loss 」「head wrap」といったキーワード検索すると良いのですが、デザインにおいては日本より幅が広くオシャレ度高いのも見つかるけど、夏用を考えられた生地に関しては数少ない印象。夏用生地の品質が高いのは日本の通販サイトの製品、デザイン性は海外の通販かなと。ただ、Etsyは柄物が多すぎて、持ってる服のコーディネートに合わせて色々買い溜める気もないし、無地の製品が少ないのというのも、一長一短ですね。しかも「これ一体どこのマダ〜ムかよ、」てなデザインも多く↓、自分のセンスに合うのを探すのは一苦労(^_^;) 

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癌転移、抗ガン剤点滴18日入院で退院す。

 2月10日に肝臓と骨へのガン転移のため緊急入院し、2月28日に退院の運びとなりました。えーっと、前回も書きましたが、よくこんな広がってしまったガンに罹って、この日数で退院出来るもんだなあと改めて医療の進歩に驚きます。2〜4人の医師によって治療方針というか「ガン攻略方法」が練られてるのをみると、攻略頑張ってくださいとしか。攻略法の話しか出てこないので、まあそんなに不安にはならずささと自分の仕事に戻っています。

 病院で撮ったCT画像ここに上げようかと思ったけど、グロ画像なんで自粛しますw
 改めて病状を書くと、肝臓全体に大小複数のガンがびっしり出来てしまい(!)、服の上からも肝臓の膨らみがはっきり分かるほどに。しかも背骨にも複数のガンの転移(!!) 初心者なら、これ見せられると、ゴンドラの唄歌う前に泡吹いて卒倒するレベルですね。
 骨の転移のせいで腰が痛く、今までなら何でもなかった重さの荷物や段差でも、腰にズンっときたりする日々です。骨への転移の抗ガン剤も今後あるかもなので、長期化するのかな。外科手術ではなく、抗ガン剤と分子標的薬の一種を投与する治療から始まり、今、すでに抗癌剤3クール目を過ぎ、やっと伸びた髪の毛が昨日からまたも抜けつつあります。

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 検査で転移が判明する前、12月後半から異様な膨満感と呼吸器や消化器の圧迫感として自覚症状があり、これを「胃炎」と解して近所のクリニックで胃用の薬で正月休みを挟んで1ヶ月以上対応し続けてたのですが、ようやく2月前半にこれが癌だったと判明。この間、食欲もかなり落ちて6kg痩せてしまい、「急に90歳以上の老人になったよう」とTwitterでも表してきましたが、息が切れたりとにかく体が重くて通常の10分の1の早さでしか動作が出来ないといった症状に悩まされていまして、そのため前回の抗ガン剤に耐えられたほどの体力が、体力消耗したため、期待出来ないのではないかが心配。

 退院しても、白血球値が下がってるため、家でしばらく安静にしていないといけないのですが、しかし、食うために昨年から考えてた講座の企画を制作しないといけない、他色々、目の前にタスクが。治療続けつつ、次の性風俗と法秩序(仮名)シリーズの準備と制作を進め、『二月革命』シリーズに負けじと劣らない秀作にするよう、相も変わらぬ長い長い旅を歩いていくだけですね。まだシリーズ制作の構想段階では、気分はほんと、三蔵法師ですよ。

またもガンの転移。悪相なのが私を急襲中

専門医の通語で「顔つきの悪いガン」という言い方があるようですが、まさに今回再度見舞われた転移はどんなふてぶてしい面をしてるやら、しかし自分の人生観からすぐ思い描く悪人像は、愛嬌は良くて正義よりも義理人情を他人に優先させるという、スコセッシ監督の『沈黙』に出てきたイッセー尾形松井一郎大阪府知事みたいな人でして、そういうのともまた違うよなあとか、などと枕で余計なことを書いておりますが、


はい、私はまたも癌に見舞われ、入院先の病床でこれを書いてます。
今度のはおそらくここ3ヶ月ほどで急に出現して、私の肝臓を覆い、背骨の一部にも広がったという恐るべき早業を見せられました。これが運悪く定期検診の時期に引っかからなかった知らぬ間に増殖して、体調不良や食欲不振といった自覚症状が12月後半から始まったのですが、私も医師も胃炎と考えてました。

で、肝臓が癌の巣窟になって膨らんで胃や他の臓器が圧迫されてて苦しかったのだということが検査で判明し、外科手術で取るというよりまず化学療法、との方針が示されました。この時のCTスキャンの画像見たら、一昔前なら、思わず公園行ってブランコ漕いで「ゴンドラの唄」でも歌うしかないだろという、自分の臓器が猛威振るわれてたわけですが、ガンも3度目ならあまり狼狽えることもなく「わー、こんな凄いガンでどんな最新治療が繰り出されるんだろーオプジーボもあるのかな」というよな、
ま、これは少々強気を盛ってますけど。

問題は、初めてのガン・2度目のガンでは「元気なガン患者」でいられたのですが、この2ヶ月で体力が奪われており闘病は堪えるんではないか、未知数なこと。

次に高額治療になったらどうするか。また貯金を崩すことになる。。

3つ目に、今度の抗癌剤の副作用に「手足の痺れ」があること。これは絵描きには稼ぎの手段を封じられることで、なんとか副作用が小さく治ってほしいもの。

4つ目、今回の治療が長期化したらどうするか漠然と心配。ガンの次に肝硬変の可能性もあります。

5つ目、もし死ぬなど最悪の事態を一応考え、成年後見人などを司法書士にお願いすることとなり。これは、私の作品を死後もどこかで守ってもらえるよう、手助けしてもらうため。敢えてここで訴えておきます。最初のガンのおりから、死後の作品の行く末については頭を悩ましたものです。主に死後のお金の相談でしたが、ここでは書けません。


とまあ色々ありますが、次回は性風俗と法秩序、その次は日本の明治政府の風致政策かソヴィエト下の芸術家について、と案はやりたいいくらもあって、2次元の絵画でまだこれだけ表現やれることをまだ見せていきたい。と思っています。

11月からすでに性風俗営業関連であたまいっぱいの私

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あけましておめでとうございます。
今年は年賀状を休みまして不調法致しております。
11月から、風営法‪・売防法‬関連の本や映像を観ていって、構想のインプット作業に励んでおります。
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こちらも早速勉強になりました。

さいごの色街 飛田

さいごの色街 飛田


まだ勉強中にかかわらず、今、次次回の構想について話をするのもアレですが(鬼が来るんでしょうか)、またソ連に戻るか、日本の近代を続けてやるか、という感じです。


本年度もご贔屓ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。

展覧会の感想をTwilogから発掘する(六.五)藤田嗣治展

今年のシメに、今年行った美術展をいくつかピックアップしておく。その2

没後50年 藤田嗣治展 (2018年10月 東京都美術館

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藤田嗣治回顧展の感想をボチボチと連投。
藤田の父親がソウルで軍の偉いさんだったのだが、26歳、渡仏する直前にソウルへ行って、オーソドックスな画風で田舎の油彩風景を描いていた。藝大時代よりもグッと明るい仕上がりにしていて、絵の具を濁らせず、影部も黒や土系の絵の具をあまり使ってなかった
2018年10月10日

1913年 『朝鮮風景』

この風景画、何の変哲も無いけど、のちのキュビズム時代よりも丁寧に描かれている。藝大でどう教わってたのか一端を知るような感じだった。よく言われる「黒田清輝が誤った油彩画を教えて云々」の特徴が、この絵には現れていない。


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乳白色の時代ごろになると使う色数をかなり抑えるようになるが、この時はとりあえず色は沢山使ってて、うるさいと思えるほどではないけど。この後、27歳でキュビズム時代に入ると色が濁り出して、乳白色に墨の時代に突入する直前まで色は暗かったり淀んだ状態が続く
2018年10月10日

1918年 『パリ風景』東京国立近代美術館

一応、初期は物資の苦労はしてたのかなあという気もしないでもない。分からんけど。絵の具の選択にこだわりが出てないのだよぬ


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藤田嗣治:31歳の時に描いたモンマルトルの街の風景画(画像は検索出てこなかった)この辺でグンとブレイクスルーしたような感があった。それまでの絵では、人物描いてても顔がキマってないなあとか、黒色絵の具にこだわりがまだ無さそうとかあって、このモンマルトルの絵で、黒使いの個性が出てきてる
2018年10月10日

このモンマルトルの絵がなぜか図録にも載ってないのだが、
乳白色以前の藤田が模索中だった頃の「キマってない人物像」というのは、例えば以下の作品、これらは展覧会図録から。この頃は、人物造形が未熟で誰かの作風をとって付けたような感じがある。
上:1914年 ‘Portrait of Ms. Chantal’、下:1917年 ‘Three young women’

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藤田嗣治:モンマルトルの風景画、いわばユトリロみたいではあるが、白地の白の綺麗さや、白地に溶け込むよう描かれたサクレ=クール寺院、それに対して黒いシルエットで描いた街路樹との対比、というのを意識してる感じ。
2018年10月10日

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藤田嗣治:あ、その前の30歳の時、パリで大和絵プラスギリシャの壁画を取り混ぜたような人物を描いてて、この時すでに油性に墨を併せ使いするというウルトラC(死語)をしてる。油性と水溶性を同じ画面で使うのは、ちゃんと定着しないので誰もやらない。藤田がなぜこれを可能にしたかは最近明らかに。
2018年10月10日

藤田の独自技法についてはこの本参考に。
藤田嗣治の絵画技法に迫る:修復現場からの報告

藤田嗣治の絵画技法に迫る:修復現場からの報告

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藤田嗣治:この「油地の上に墨」技法初頭期に描いた大和絵ギリシャ風な絵は、色数が多くて色彩センスはあまり洗練されてない印象はあった。かつ人物の顔はモディリアニにも似ていて、ちょうど1917年にモディリアニを扱う画商と契約したというところが面白い。
2018年10月10日

1918年 『目隠し遊び』

人物造形はどうしてもモジリアニ風に見えるよぬ。色数が無駄に多く配色センスが幼稚な感じがする。原色の赤青緑をあまり考え無しに置いてるなと思う。後年の洗練された色のセンスからしたら、こんな時期もあったのだなあと感慨深いものがある。

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藤田嗣治:1918年31歳の、食材用の死んだ兎とネギを並べた台所の静物画、ここで、藤田の特有の色彩センスが完成されてる。油地に墨、色数は抑えてる。この時の絵で、西欧木造建築の漆喰による白壁から、のちの白地を生かす技法に気づいていったんだなと思った。多分。
2018年10月10日

 これも、図録にも掲載されていず、検索でも探したが見当たらない。いい絵でした。


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藤田嗣治:1919年『私の部屋』、ここで完璧に出来上がってた。これぞ藤田の色彩、藤田の描線、藤田による技法、藤田の乙女チックラブリーな世界。クロスの浅いローズ色の愛らしさ。アンティークの木製チェストは墨で木目を丹念に描いてる。輪郭の墨の描線はペンで引いたように細い。完成度が高い作品
2018年10月10日

1921年 『私の部屋』(ポンピドゥーセンター蔵)

 白描を全面に出してやっていく段階に至って、色彩のセンスもグンと洗練度が上がった。これは下地のマチエールも丁寧で、しみじみと良い作品だった。


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藤田嗣治:1922年の肖像画。実際にかなり自身のファッションセンスが磨かれたのか、色彩の配置にも成功してる。セルリアンブルーのシノワズリーのドレスに大きな翡翠のペンダント、翡翠色のシフォンらしきブラウスの袖、翡翠色のストッキング!そんな色のストッキングがあったのか?
2018年10月10日

1922年 "Portrait of Emily Crane Cbadbourne" シカゴ美術館蔵

 油彩で白描やる独自手法にたどり着く以前は、決して色彩センスが良い人ではなかったように思う。色彩センスが悪い、というのは、例えば色に対するテーマが絞れてなくて何でも手当たり次第盛り込んでしまうとか、彩度明度の違いを考えずに配色してしまうとか。色彩センスだけは、色んなコツを身につけるだけで誰でも向上する能力ではある。あと、絵画で言えば、絵の具の品質に対するこだわりは大事で、色さえつけば何でも良いというわけにはいかない。


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藤田嗣治:1923年のラブリーな裸婦画。お腹ポンポコリンの猫。藤田好みの彩度低めのローズピンクが背景の壁紙(このデザインも良い)にも裸婦の肌にも使われている。シーツの皺は墨で表現され、この独自の技法も完成されている。この時、地塗りは完全に平滑な塗り、以前のはマチエールつけていたのだが
2018年10月10日

1923年 『タピストリーの女』京都国立近代美術館

 これもモデルとの親しみの情だったり温かいものが感じられて、いつ見ても微笑ましい良い絵だと思う。人物造形についても、この時はもう完成されていて、手法も人物も藤田オリジナルがしっかり出来上がっていてもう迷いがなくなった感じ。


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藤田嗣治:墨使いや地塗りといった独自技法だけでなく、個々の猫の個性、モデル女性の個性、インテリアやファッションにも細かく考えて描いてるのが分かる。
2018年10月10日


 ここから感想にかこつけて自分の話をしだす私w

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藤田嗣治:先日の個展で若いお客さんに言われたこの藝大臭wについて観ながら考えてたのだが、テンペラの場合は半水溶性半油性のエマルジョンだが、油性だけを使わない利点というのは大きいなと。藤田の若い時からパリ時代までの変遷を追って観てても改めて思うのだった。
2018年10月10日


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この個展での会話の時、「テンペラ使わなくても、油彩だけでも描けますよね?」と訊かれて「描こうと思ったらそりゃかけるでしょうけど」と答えたのだが、水性や半水溶性だと、クッキリとした線描の表現が出来るのと、ハッチングはやはり画面がカチッと締まるの。油性だけで仕上げると全体がぼやける
2018年10月10日

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藤田嗣治:藤田も、油性絵の具だけでやってたのを経て、水性画材との併用に変わったが、線の表現がそれで可能になった。
そういえば、昔の知り合いで、ハッチングで描かれた人物は怖いから見たくないという人がいて、ハッチング人物画恐怖というのがあるのかと思ったものだ笑
2018年10月10日

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私がテンペラ油彩を勉強したのはデルナーというドイツ人が戦前に書いた本で、藝大由来というより、まあなに由来なのか。訳したのは佐藤一郎というテンペラ界の有名人だが、邦訳者と著者というのは違う。あと美大教育の弊害みたいな話には、全然ピンとこないよ派
2018年10月10日

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若いお客さんでなぜか「黒田清輝以来ヘンな油彩技法の日本」という逸話を語る人が3人いて、東京ではまずこの話からするのかという発見w「だから日本で油彩を学ぶのは難しい」と言う人もいて、それは関係無いだろうと。ヨーロッパの古今の油彩なんて都市部で年中見られるし、美術って半分は観て学ぶもの
2018年10月10日

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古今の先達者の油彩作品をたくさん観てさえいたら、別に黒田清輝云々は関係なく無いか?
2018年10月10日

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デルナーの技法書が良かったのは、ルーベンスに軸をおいて解説してたこと。ルーベンスは、習作や未完成作をたくさん残していて、完成までの途中経過がわかりやすい作家なのだ。日本でも観られる機会が多いしね。
2018年10月10日

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残りは、今日はもう遅いからまた明日。戦争画の話題は散々したのでとばす
2018年10月10日


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藤田嗣治:油彩だけで描かない利点・水溶性の絵の具と併用する利点というのは、この1923年に描かれた猫絵の小品の繊細さからも分かる。画像では分かりにくいが、白い油彩の絵の具と墨だけで、あとは極僅かな色味を感じさせるのみ。面相筆で、グラフィカルとも言える細く抑揚無くひいた墨線、
2018年10月11日


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藤田嗣治:その代わりに、ボカシ筆で温かい感じで陰影を墨で表現してる。描線はキリリと冷たく、陰影は温かく。これを墨で表現してる。ふつう、こうしたシンプルな小品は紙に描こうとするだろう、が、藤田オリジナルの併用画法を敢えて使うと。白地は平滑に綺麗に塗られた油彩で落ち着いた光沢がある
2018年10月11日

 画家の方と話したことがあるが、猫を描いた絵画に関しては、藤田の手法が群を抜いて猫らしい


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藤田嗣治:1930年に中南米周遊に出てるが、旅先では油彩のみのと水彩のみの作品を残してる。油彩のみで描かれたこの風俗画は、悪くもないけど、墨の併用で描いた作品と比べると、藤田の個性が死んでて精細に欠けてる。中南米社会主義美術に触発されて目先変えようとしてみてるんだろうけど
2018年10月11日


 藤田の場合、油彩のみだと急に精彩に欠けるようになる。構図や色は、パリ初期のキュビズム時代と比べて良いけど。

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藤田嗣治:一方で、紙に水溶性絵の具のみで描かれた風俗画は、油彩のみの時と違って、唸るほど完成度高い。藤田嗣治はやはり、水溶性絵の具の特質あってこその画家だと思う
2018年10月11日

1933年『ラマと4人の人物』三重県立美術館蔵

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藤田嗣治:油彩のみで描くと精細さに欠けていくという傾向は、のちの戦争画にも特徴として出てたかと。
2018年10月11日

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藤田嗣治:メキシコ時代の水彩画は、漂白されてない紙を選んで使ったと思いきや、どうも白い部位は塗り残してるのかなという感じで、茶系で地塗りをしてるのかも。白地時代とは違う手法に挑戦してるが、近代日本画の絹本の作品で、こういう地の色にしてる作例をよく見るので、日本画を参照にしてるかも
2018年10月11日

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藤田嗣治:この有名な寓意画は1940年作か。日本に帰ってからだよな。まだ絵の具の備蓄があったのか(もしくは戦時中は出し惜しんで持ってたか)、藤田ならではの絵の具へのこだわりも復活。背景の黒は、「花のブリューゲル」の背景の様に、透層用の白を混ぜてしっとりさせている。
これは名作ですよぬ
2018年10月11日


 花のブリューゲルが背景の黒色に混ぜたのは、クレムス白といいまして。


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藤田嗣治:戦後、シレッとこんな可愛い作品を描き出して、何なんだこいつはと改めて人間性疑うわなw 裸婦の方、周りの擬人化した動物の服の着方が、ちょうど3歳くらいの幼児が自分でパジャマ着たような、絶妙な雰囲気を出していて、実に巧いというか可愛いというか。可愛い絵だけ描いてりゃ良いのに。
2018年10月11日


人間性疑うというのは、いろいろ過去記事に書いたりしたけどw 藤田君はおバカさんだけど、絵描きとしては好きなのだった。



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藤田嗣治:戦中と戦後でシレッと題材変えるのは、藤田という人が大局で先を見通すような能には欠けてて、深く思い詰めて内省するタイプでもなく、その時の細々とした愛らしい物との生活感で制作していく方に向いてたからだが。
戦後、カトリックに入信して描いた宗教画も、皮肉にも大変良い作品である
2018年10月11日


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藤田嗣治:多少、忸怩たる思いがあって入信に至ったんだろうけど。戦後に手のひら返しでGIと交際してふざけて写真撮るような良い加減な人が、こんな良い聖母の顔が描けるなんて、皮肉なもんだなあと思う。ここまで完成度高い聖母もなかなか無い。衣襞の造形は、北方ルネサンスの木像を想起させる。
2018年10月11日


この聖母の人物造形は、ほんとに素晴らしい。

藤田くん、良い加減なヤツだけど、君のことココロの友達だと思ってるよ