蠅の女王

小倉涌 画家 美術家 アーティスト 歴史画

 -歴史学における実証主義の問題点について-

2005年秋期比較近代論11/8の梅垣先生講議より。メモ

A "The question in history is never what must be, or might have taken place, but solely

what the evidence obliges us
to conculude did take place." Michael Oakshot,
Experience and Its modes, 1933 「歴史学の役割とは」

エビデンスの裏付けのあるごく一部の事件だけが「歴史」とされる

歴史学から政治学への発言
歴史学のエビデンスの問題
▽【ex.】▽ 

  • 「真珠湾攻撃におけるアメリカの仕掛けた罠」
  • 「ジェンダー」による歴史の読み解き
    • →「”ジェンダー”は1970年代からの概念でありそれ以前には無かった」

→ゆえにエビデンスの裏付けの無い事件は「憶測に過ぎない」と一蹴される

エビデンスが残されるのは「残す意志があった」「勝者による」もの


→∴丸山眞男、政治思想である種の「実証主義」を批判

 この「緊張」の自覚をそもそも欠いたところから出発する今日の「科学としての政治学」からの丸山批判が、「一切の世界観的政治的闘争に対して単なる傍観者を以て任ずる者は、それだけで既に政治の科学者としての無資格を表明している」とし、「価値決定を嫌い、『客観的』立場を標榜する傲岸な実証主義者は価値に対する無欲をてらいながら実は彼の『実証的』認識のなかに、小出しに価値判断を潜入させる結果に陥り易い」とする丸山の批判によって、「逆に批判したその時点から反撃されているのではないか」とする薮野の指摘は、まさに当を射ているといえるであろう。
(冨田宏治氏)http://homepage3.nifty.com/k_tomida/Senryaku.htm


慶応大学荻原研究会講義レジュメより▼

2) 事実と価値

実証主義の科学観:
科学とは厳密な観察データに基づく「事実」の説明と予測のみを扱うものであり、世界を客観的に記述した「真理の体系」である。経験的な事実によって検証不可能な命題、端的には「価値」の問題は無意味であり、科学外のものとして、学問の対象にはなりえない。
→それが政治学からの政治哲学の追放に?
→『自然科学と社会科学の区別』「客観性」に欠ける社会科学?

社会科学と価値問題

  1. 社会科学の対象としての価値:価値の存在自体は社会科学の重要な対象
  2. 社会科学の価値前提:これを禁じることは望ましくもない。
  3. 社会科学における価値自由:どの価値を信じるかは学問の対象外

ウェーバーが問題にしたのは、

  • 社会科学の命題自体が、
    • 社会科学の議論が、どこまで事実の学問的論究であり、
    • どこからが読者や聴衆の感情に訴えかけようとしている価値判断的推論なのか

「価値判断」と「知的禁欲」の緊張関係