蠅の女王

小倉涌 画家 美術家 アーティスト 歴史画

-デヴィッド・ヒューム-キリスト教への信仰とは:「熱狂」に身を投じる事。メモ

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デビッド・ヒューム (David Hume), 1711- 1776. : 小入門


偶然の宇宙 (双書現代の哲学)伊藤邦武著『偶然の宇宙』より メモ

「神の存在証明」で信仰が深まるのではない(P.30〜)

      • 奇跡の体験の証言について愕然性から神の存在証明述べるパターンと
      • 自然の秩序の「合目的性」から証明述べるパターンと。
  • ↑実際、神の存在証明に依って、到底「堅固な信仰」の基礎とはなり得るものでもない。
    • 別種の説明できる仮説が成り立つから
    • ∴絶対性が求められない
  • "こうした"本能的直感に発する形而上的議論
    (:「神の存在証明」の上のアイディアのこと)
    • これに対して出される別パターン:
      「恩寵といった啓示に基づく具体的で現実的な信仰」
      • ⇒これでも疑うに十分な理由がある。

ということから、ヒュームは、

  • 「キリスト教の信仰を保持する事は、非合理的な『迷信』にあくまでも固執する事でしかない」
  • 「狂気に近い熱狂に身を投じる事でしかない」

→→デリダの「決定の狂気」

「人間理性」の働きの区別 (P.40〜51)

ヒューム以前:

      • 知識
        :エピステーメ、スキエンティア
      • 愕然性
        つまり「信念」:ドグサ、オピニオ

⇒知識というのを「観念の比較」から生じる明証性と定義してきた。


⇒ヒューム、三種類に分ける

  • proof(確証)
  • knowledge(知識)
  • probability(愕然性)

↑etc.「日が昇って沈む」という現象
から得られるような、因果関係からの愕然性の明証性から