蠅の女王

小倉涌 画家 美術家 アーティスト 歴史画

「国のために戦うか」アンケート 日本では「国 = 政府」だったりして。

Photo : "Be Links"  by Manti Spiwanichpoom


図録▽もし戦争が起こったら国のために戦うか(世界価値観調査)はてなブックマークエントリーによせて

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世界数十カ国の大学・研究機関の研究グループが参加し、共通の調査票で各国国民の意識を調べ相互に比較する「世界価値観調査」が1981年から、また1990年からは5年ごとに行われている。各国毎に全国の18歳以上の男女1,000サンプル程度の回収を基本とした個人単位の意識調査である。
ここでは、「もし戦争が起こったら国のために戦うか」という問に対する各国の回答結果をグラフ表示した。
「はい」の比率が日本の場合、15.6%と、世界36カ国中、最低である。「いいえ」の比率は46.7%とスペインに次ぐ第2位の高い値である。
(「分らない」回答が37.7%でこれも一番高い)


はてなブックマークエントリーのページはこちら



「日本が右傾化している」のにここで「いいえ」の回答が最も多かったのは何故か
という見出しタイトルにした方が、もっと関心惹きそうですかね。
ソレデハ、日本的うよさよノすてろたいぷ・いめーじニナリ過ギルト思ッタモノデスカラ。
と言いつつ、何故「いいえ」の回答が日本では多かったのか、わたしの理解を書いてみますと。
まず、「アメリカが衛ってくれるから」という感覚があって、「いいえ」と答えたのではないかというのが一つ。*1
ソノ場合、あめりかニ攻メラレル可能性ナンテアリエナイ、トシテイルワケダナ!
で、次のが今回の本題なのですが、
日本の右傾化といっても、そこでは結局「国」とは「= 政府」であって、だから、「戦争で国のために戦うか」と問われても「いいえ」「わからない」に流れたのではないだろうか。と思うのです。政府は、自分の体捧げる対象にはなりにくいでしょう。
――いわゆる愛国心教育も、教育基本法とかで愛国心を学校で教えれば何とかなるという他愛の無さは、「学校で未成年者の禁酒禁煙教える」程度の認識感覚だからではないか、と疑問する


あーまた話がずれ出しました。
日本の右傾化でのナショナリズムは、国 = 政府の図式であって国 = 国民国家というナショナリズムではないのではないか、と。国民国家ナショナリズムの場合、この間のフランスのように政府の決定に対しゼネストするのは当たり前ということになるわけです。
またあるいは、アメリカでは「護憲派」と言うと主に「市民の武装権」を謳う修正憲法第2条*2についての護憲となるのですが、これは「市民の抵抗権(革命権)を護る派」を自負する立場であります。*3
そこで以下のは、アーサー・C・クラークの小説『トリガー』(2001年)からの引用で、ある民兵団の「大佐」が語ってる台詞です。(ハードSFですが、設定は未来社会とかでなく現代のアメリカ社会です)

   トリガー〈上〉 (ハヤカワ文庫SF) P396より


「人民を武装解除して奴隷化しようとしている専制政府に対する抵抗運動に協力する気がないんなら、おまえは国賊だ」
「ぼくはまず最初に政府を武装解除したんだぞ。それでは足りないのか」
「人民の武器は、ときと場合によっては政府を打倒する力をおれたちに与えてくれているんだ。政府はいつでも自分たちの武器を元に戻せるじゃないか——やつらはすべての権力を一手に握っているんだ。」

ゴリゴリの護憲派(つまりアメリカでは右翼)の民兵の台詞なんですが、ここで彼らにとって「国」というのが連邦政府と一致していないわけですね。「人民を奴隷化しようとしている云々」の台詞も、SFだからって別に物語上突飛な状況があってから、というものでもないんです。
宮台真司先生なんかの、いわゆる「ウヨク」と本来の右翼とが違うものだというお話も、わたしはこの小説を読んでいたので、すんなりイメージし納得し易かったです。
日本デモ本来ノ愛国的ナ右翼ナラ、政府ニ対スル抵抗権ミタイナ感覚ガ根底ニアルモノダ、トイウコトデスワネ。
学校でも愛国心教育する中で、抵抗権という概念についてもしっかり教えるというんなら、結構面白い授業になりそうな気しますけども。


アト、ぶっくまーくこめんとデ「『守ルカ』ト質問文ヲ代エテミレバ」トイウヨナ「異見」モアリマシタガ、「戦争ガアッタラ」トイウ設問ナンデスカラ、ヤハリ「戦ウカドウカ」デ聞クノガ筋デスワヨ。
守るかって何を守るか、具体性がいりますし。立場によって守るべきものが十人十色ですからね。
例えばソクーロフの映画『エルミタージュ幻想 [DVD]』(2002年)を観て、その中で、第二次対戦中ドイツ軍がレニングラードに攻めてきた時、実際に125万人の市民が死んだ凄惨な市街戦であったのですが、その最中でも、エルミタージュ美術館の学芸員たちにはとりあえず実戦に就くより美術館の美術品を略奪や損壊から守るべく、隠して面倒看る事こそ何よりも優先した、というエピソードが途中で出てきます。
この学芸員の志しは、わたしなどにはよく理解できるものです。わたしにとっても、人命よりも貴く重い文化遺産美術品というのが、あるかもしれない。


さて、わたし自身のブックマークのコメントでは、「徴兵制が現在ある・40年内過去にあった国はYesが高い。実戦のイメージトレーニングあるから、とか?軍隊で覚えるよな苦痛への耐性とか。こういうイメトレでもやらせれば日本も比率ぐっと上がる潜在性は充分あると思う」と書きました。その時念頭にあったのは、村上龍の小説『半島を出よ』の印象でした。
『半島を出よ』は、北朝鮮の特殊精鋭部隊が九州に侵略してきて、日本国から切り離してそこで独立国を作ろうとする、という物語です。
で、この侵略は成功するんですが、その侵略成功の事由として、北朝鮮の特殊コマンドが非常に優秀だった(つまり、暴力をする事や目撃するのに慣れているというものでもあった)のに対して、日本側は政府も公務員も市民も「人死にを出したくない」という一心で、兵士達を捕獲するような決定・実力行動を避け続けていくところにあった、という設定になっています。
日本の中においては「巻き添えで人死にが出るだろう」実力行動の決定が、どうしようもないくらい、出来ないと。*4
このアンケートで「はい、戦う」と言う時、「巻き添えで犠牲の人死にも出す」可能性をも念頭にないと、きっとどうしようもないんじゃないかとわたしは思うのです。*5 そういう意味でも、ああいうコメントとなりました。
そして日本人もやがて「はい」と答えうる潜在性は、けっこうあるんじゃないか、とも。
彼等ニトッテ、タトエ「政府ノ戦争」デアッタトシテモ? 
実戦ノ暴力行使ノ「いめーじ」サエ明確化サセテヤレバ、「分ラナイ」ノ回答ガ、「ハイ」ニ流レルトイウ可能性ヲ、秘メテイルノカモシレナイ。
 


「いいえ」が一番多いからだからいい国か、というのも、何とも言えませんねえ。朝鮮戦争やベトナム戦争での戦争特需の恩恵にあずかってこその日本の高度経済成長、だったのですから、日本は何だかんだいって戦後もしっかり戦争に関わってきたのだとわたしは思ってますし。
対して、アンケートでベトナムのあの「はい」の比の高さというのが、わたしには良い思考材料になりました。(94.4%!)
コメントで言われてたような、ベトナムの時は「アンケート配布を役所でして役所が回収する」みたいなことがあったのなら、やはり回答に影響していたでしょう。そんな事があったとしてもなお、日本でも、映画や本などでかつてのベトナムゲリラの組織力のもの凄さを伝え聞いてるので、単純にあれが「検閲があるせい」だけとはわたしは思えない。
あの時の戦闘では、同朋であっても巻き添えに人死にさせるような戦いだったと。彼らは「戦争」とはそういうものであるとのイメージがあっての、更なる「はい」の回答というのをしてたんでは、とわたしは思うのですが。
国民国家の物語として共有している「実戦の記憶」が、もうハンパじゃないだろう、と。
以前ニあにめ『Blood+』デ、主人公ノ小夜チャンガべとなむニ居タ間ノ回、べとなむノ女子高生ノ間デモ、モハヤげりら戦争ノ記憶カラ遠離リツツアル、トイウ感ジノ場面描写ガアッテ、「アレダケノげりら戦ヲ潜リ抜ケタ国デモ、30年デソウナッテユクノカナ」ト思ッテ観マシタワ。
今日挙げてる写真は、Manti Spiwanichpoomという写真家の作品で、実はベトナム戦争時1972年にピューリッツァー賞穫った有名な報道写真の、パロディなのです。
パロディに写ってる方は、いずれも手にブランドのショッピングバックを抱えてますね。その後ろに白人男性が立っている。意味する内容としては「僕らもとうとう後期資本主義の欲望の虜だよ〜〜ん」という感じでしょうか。
『BLOOD+』観た時も、このパロディを思い浮かべてました。
でも、今回のアンケートからすると、どうも戦争によるナショナリズムはまだ根付いているということでしょうね。
フランスにしろアメリカにしろベトナムにしろ、こういう革命とか独立戦争の記憶を糧にしてる国民国家ナショナリズムには、「今日びの日本のナショナリズム」などは到底ですね、あのー、えーと
うーん、「勝てませんね」と言うのも、なんだか妙ですねー。はてさて何て表現するべきでしょう?
日本ノ右翼モ左翼モ、「べとなむノなしょなりずむガ羨マシクテショウガナイ」ト、実ハ思ッテルンジャナイカ
ト、言ッテミルてすと。
その「羨ましい」は、こっちはフランスですが、ゴダールやアラン・レネが参加したオムニバス映画『ベトナムから遠く離れて [DVD]』(1967年)でも、穿った見方すれば感じられたりしました。


最後に、わたしならどう回答するかというと、やっぱり、、「分らない」って答えてしまうでしょうねw
「それはどんな大儀の戦争か分らないから」という理由で、「はい」とは答えないけど、同時に「いいえ」ともしにくい、です。
それと、日本での結果で「いいえ」回答の多さが、何らかな高邁な志しみたいなのが反映されたものだったというのには、わたしは懐疑的です。


ソレデハ今日ハコノ辺デ。左様ナラ・・・。

*1:「右傾化してると言われる中で〜何故か」という事なので、今回あえて9条は無視して書いた。

*2:修正第二条参照。

*3:「抵抗権」参照:http://www.eris.ais.ne.jp/~fralippo/demo/review/MZT031228_resistance/より>『憲法学者 宮沢俊義によれば、「抵抗権」は、人権宣言において保障される人権のひとつであるが、他の人権とは異なる点を持っている。なぜならそれは、人権を侵害する公権力に対して(実定法の根拠を持たずに)抵抗する権利のことだからである』 ただし同時に、『軽々しく抵抗権をもち出すのは、無責任なエゴイズム以外の何ものでもないこと、そして、そうした無責任なエゴイズムのもたらすものは、救いがたいアナアキイ以外の何ものでもないことを知るべきである。個人の尊厳から出発するかぎり、どうしても抵抗権をみとめないわけにはいかない。抵抗権をみとめないことは、国家権力に対する絶対的服従を求めることであり、奴隷の人民を作ろうとすることである』長い引用になってしまった。

*4:内部に向かっては出来なくても、外部に向かってはし得るだけかもしれない。殺すなかれのルールとは、単に共同体内での殺しだとタブー観が大きいだけ、と、宮台真司氏がブログのどこかで聖書の引用から上手く説明していたが。また、言うまでもなくアガンベンの「ホモ・サケル」とか。

*5:「今時肉弾戦じゃなく遠隔操作でピンポイント攻撃だろ」って声も囁かれそう。そういう「手を汚さずにちゃっちゃと済む」よな清潔な想像は今後の日本の戦争についても出来ない。『半島を出よ』とか読んだからか。