蠅の女王

小倉涌 画家 美術家 アーティスト 歴史画

タイトル画こけら落とし カスタマ地獄の黙示録 〜b:id:YOWに慰問など無い〜



はてなブックマークの新しい看板絵とスタイルシート編集、とりあえず今月中に間に合いました。
うつくるしいですね!*1


ウツクルシイノラ!


※ただし、現在Mac Netscapeにて、ブックマークエントリーの表示が下にきすぎるという問題が発生しておりまして、ただ今全力を尽くして、そのスタイルシート箇所の直しを、さぼってる状態であります。(ピッ)


原画は、紙にヰンク、スクリーントーンで描ひたアナログ原稿なりぬ
大きさはほぼB4程度なりぬ
スクリーントーンの重ね貼りせんがため、漫画用原稿用紙は頼りなくとぞおぼへ、厚口の北雪ケントにて描きたる
昨年11月29日の時に、ここのサイドバーの、銃持ってるドールのアイコンでリンクさせてるペン画の作品(仮称「アダムとイヴ」みたいな)をアップしたのですが、イチジクの葉の代わりに銃を持つアダムとイヴというんでもう一枚描いてアップしようと、この時思ってたんですね。
で、年末からデッサンぼちぼち、とりだしてたんですよ。拳銃で股間隠しながらくねってるポーズ。
したら、キターー大晦日。毎年観てないのにたまたま“ あの時 ”NHK点けまして、DJ OZMAさんの出番でした。あーも、『偶然の宇宙 (双書現代の哲学)』だもんねーですよ。デジャヴのおかげでハイテンションに年明け迎えられました。
まだ当時は、頭の中だけで「銃で股間隠しまくってるポーズの群」の絵のアイディアを、温め膨らませてるだけの状態でしたから、あのキノコついたスーツ見ただけで「ネタかぶってる!」と、大いなる電波につままれたような気分になりました。
YOWYOWハ相変ワラズ、思イ込ミガ激シイナ!
ダッテ、アノ茸モウチノ拳銃モ、御チンチンヲ象徴シテイマスワ。
ダカラ、俗流ふろいと派カ!
それとあと、
ドールにしとくかヌードか迷って、ドールのバージョンでペン入れもやってみたんですが、「今回はスパっとヌードでいけ。ドールに逃げるな」とオズマさんからの電波が届いて背中押されたような気がしたので、ドールバージョンはボツにしました。
地下鉄のアダムとイヴ(:仮称、サイドバーリンクしてる分)は、人物2人だけで片方だけドールで、あれはあれで正解なんですが。
なんかセクシャリティ、ドールっていうんだと、シンディ・シャーマンとかハンス・ベルメールとか、やってる人は色々いるだろうしなー。ぞんざいなボキャブラリーですいません。


そも、下の「ヒトの性の変域」と称する図表から、なんかひねってみようとしてたんですよ。
*2


つまり性差を部分分節して捉えられているわけで、だからアイディア段階でしばらく「ドール」の発想に囚われてたんですが、
表は、1970年の出版物からの出典らしくて、古いのに疑問も感じますが、こういう図は、わたしが大学ん時にも「セクシャリティの先生」(男性誌等でよく出てる人です)が授業で出してたのは覚えてます。(今でもネタとして賞味期限内?)
コレナラ、YOWYOWダッタラ2ツクライ、症候群持ッテルヨナ!
うん、そういうことですね、つまり
「人類みな症候群」というのが、これから導き出されるオチとなってまいります。
別にジェンダーやセクシャリティとしての「命題」のみならず、この左右両端の女/男の「イデア」を、
「ササニシキ/コシヒカリ」「アフリカ象/インド象」「惑星/小惑星」「左脳タイプの人/右脳タイプの人」「サヨ/ウヨ」
と、これにありとあらゆるバリエーション当てはめて考えてみるも、一興です。男/女のイデアもササニシキ/コシヒカリのイデアというのも無いのですが、
というか、このような二元論立てで考え出すと、科学も形而上的様相を帯びてしまうことになってゆくのですねええ
(←id:YOW:20070329参照)


トコロデ、絵ノ話ハドウナッタンダ!
絵ソノモノハ、当初ノ「性ノ変域」カラノ着想ヨリ、若干遠ノイタ、トイコトデスワネ。


ええ。そうです。*3


DJ OZMAを何気分に引き合ひにしつゝも、充分に距離をもとるべしと惑し、
YOWYOWは、にはかに「性の変域」のことを話し始めたるぞかし

前の(仮称)アダムとイヴの絵にも関連づけて地下鉄のホームに並べようとか最初思ってたんですけど、ベルメールやシャーマンがよぎるから気が乗らなくなった。
したらやがて、「銃とストリップ」の連想から映画『地獄の黙示録 [DVD]』のプレイメイト慰問の場面を思い出してきちゃって。
グラビアモデルらの登場でみなが思いっきり狂喜してる場面のあと、マーティン・シーンの「ベトコンには、慰問など無い」という絶望の台詞がかぶってくるんですけどねえ、


そんな心に残ってた映画場面へと、わたしのアダムとイヴのお題も変節遂げていった、という次第です。


絵の背景も、ヘリポートなりぬ
また、映画で見しベトナム戦争時のBELL社HUEYなるヘリコプターのプラモデルをも買ひて、これを組み立ててモチーフにしたるらん
プラモは初めて作ったんですが、あれはふつうに楽しかったねー。塗装はせず組み立てただけだけど、無心ではまって組み立てました。趣味で作る解放感の気持ち良さを、改めて感じました。結局絵でのHUEYの登場は、ほんの一部分だったけど。


・・・一人、二人、三人、四人、・・・
今アノ絵ノ人物ヲ数エテミタラ、11人シカイマセンデシタワ!
「For 13 maidens' prayer」ダカラ、めんばーハ13人ナハズナノニ、イツノ間ニカ、誰カ減ッテイルンデスワ!
コノ絵カラ、人物ガ2人消エタ!?
にほへチャン、アノネ。ハジメカラ11ニンシカ、カイテナカッタンダヨ。
あんな小さい表示になるのに、あそこに13人もいれて構成しきれないってば。
11人ですでにいっぱいいっぱいじゃないですかー。
デハ、看板ニ偽リアリトイウコトダナ!
そも「13人の乙女のために」なればなるこそ、絵の人物をも13人も果たして必要なりしか
屁理屈にあらざらむ





本日ハナンダカ、わいわいト、
「遠足ニ行ッテ来テ、帰ッテキマシタ」ッテ感ジノ日記ニ、ナリマシタワネ。

*1:2/2追記:網点がほぼ潰れて淡墨っぽくなったグレーの調子がしつこく感じられたので、Photoshopの「フィルタ・シャープ」をスキャン原稿レイヤー全体にかけて、すっきりできた。

*2:『性は定義できるか』ジーザラー・T・キャプラン、レスリー・J・ロジャーズ/竹内和子訳にて掲載されてたものをうp(『現代思想』1992年5月リチャード・ドーキンス特集号)但書よると、1970年の「サイエンス・ジャーナル」第六巻第六号からの出典とある。

*3:しばらく頭の隅に留め置いて、ドールでもなくシンディ・シャーマンもどきにもならないようひねり直す。