蠅の女王

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『安倍が「法の支配」を「法律の支配」と間違えてる件』からピックアップ。「法の支配」って、何だろうなぁ

法学板@2chで見つけたスレッドを、わたしの独断と合点だけで、レスのピックアップしてみます。スレッドのネタ元は、産経ウェブの【コラム・断】安倍首相は裸の王様か 「法の支配」と「法律の支配」からのようです。記事内容は、次の見出しd:id:YOW:20070402:p2にて、転載記録してます。


スレッドでは国際法とかの話も出てますが、ここではざっくり省いていきます。
レスの順序は、前後して書き出しております。
太字,赤字、等の強調はYOWによるものです。

※、註
のところは、YOWによる補記です。


法学板@2chよりhttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/jurisp/1160384786/
キャッシュページ:http://proxy.bbsnews.jp/2ch/jurisp/1160384786/


まずは、序というか前ふり。

安倍が「法の支配」を「法律の支配」と間違えてる件
より

1 :法の下の名無し :2006/10/09(月) 18:06:26
勉強してないのがばればれなんですがw
高校生でも法律の支配なんていわないぜw


4 :法の下の名無し :2006/10/09(月) 18:45:59
うーん、そうかな???
法の支配を、いわゆる法治主義ではなく「ルール・オブ・ロー」として正確に 理解している日本人て、圧倒的に少数派じゃないかな??
高校生どころか普通の大人に聞いても大抵は、「国民は法律に従って生活しな ければならない」という意味でしょ、て答えると思うけど・・・


5 :法の下の名無し :2006/10/09(月) 21:13:09
>>4
いや、一国の総理として憲法の基礎すらも知らないというのはどうなのよ?


6 :法の下の名無し :2006/10/09(月) 21:35:11

「法の支配」の定義
専断的な国家権力の支配を排斥し、権力を法で拘束することによって、 国民の権利・自由を擁護することを目的とする原理。


「法の支配」の「法」とは、日本でいえば「憲法」のこと。
<註:「『法の支配』の『法』が憲法を指すという解釈は正しくない」という指摘も。自然法みたいな?また、今度調べる。>
※追記:あーいや、でもなんか憲法って気もしてきた。すみません、適当な直感です、<はやく調べろ
※4/25追記:http://d.hatena.ne.jp/YOW/20070725/p1で、調べたのを報告。


そして憲法は日本国における最高法規であるが故に、行政権、司法権のみならず、立法権をも拘束する。
憲法と法律は、その存在する次元が違うので、「○○の支配」と言ったときの意味ももちろん違う。


もし「法律の支配」となると、法律レベルでの改正が可能となり、立法権に多大な権力を集中させてしま うことになる。
しかも、「法律の支配」の下では「法の支配」はあり得ない
(憲法は存在しないか、空文化していること になる)ので、立法府が裁判所による違憲立法審査権を法律によって設けない限り、立法権の暴走を止め る手段はなくなり、最悪の場合、戦前の形式的法治主義と同じようになってしまう。


以上より、安倍首相の「法律の支配」発言は、森喜朗元首相の「神の国」発言以上に問題であると解すべ きである。

前ふりの途中ですがここで、「分かりやすいワンフレーズ」ご紹介。

315 :法の下の名無し :2006/11/24(金) 04:01:17
「法律の支配」は「法の抜け穴」の利用を可能とする。
「法の支配」はこれを 否定しようとする法の精神だ、
と言えばわかりやすいかな。


なんかこう、街金もののマンガのイメージだな。追込めドンドンの上司と反発してしまう主人公の図。


342 :法の下の名無し :2006/11/26(日) 19:28:27
>>263で、
>別に法律の支配でいいじゃん。
って言ってるだろ。「法律の支配」で満足するなら、別に法律の中身を問わなくてもいいんだよ。
もし本当に法律の中身がどうでもいいなんて思ってないなら、「法律の支配でいいじゃん」なんていえないはずだぜ。


っていうか、>>263の言う「法律の支配」って、形式的法治主義のこと言ってんじゃないの?
263を読むと、実質的法治主義にはとても読めないんだが。


125 :法の下の名無し :2006/10/23(月) 15:45:23

安倍は国会で↓のような意味の発言を再三しているが、


>しかしながら、国の理想、形を物語るものである憲法は、
>日本が占領されている時代に占領軍の深い関与のもとで制定されたものであり、
>また、六十年近くを経て現実にそぐわないものとなっています。
>だからこそ、私たち自身の手で、二十一世紀にふさわしい日本の未来の姿
>あるいは理想を憲法として書き上げていくことが必要であると考えています。
(平成18年10月2日衆院本会議)


憲法ってものの第一義は「国の理想、形を物語」ったり
「日本の未来の姿あるいは理想」なるものを書いた所信表明 ではないと思うんだが。
もちろん今の前文みたいに「われら」の理念をぶち上げるのも重要だが、 まず国民が生まれながらに有する対国家的な権利を確認するのが第一目的で、 その諸権利を保障する手段としての統治機構を定めたものが憲法であるベきだ。
安倍が何をもって「日本の未来の姿」と想定してるのかよくわからんが、
国民の権利よりも自分の理想論を押し出して憲法を論じる態度には共感できない。

125は細かいジャブなのだが、それなりの攻撃力あって、どっかで使えそうなフレーズではある。
あと、もう一つ。

431 :法の下の名無し :2006/11/30(木) 22:37:05
気になったんで国会会議録を検索してみたよ。
安倍さんがはじめて国会議員になったのが平成5年だから、そこから現在までの分。
「法の支配」は278件 、そのうち安倍さんによるものは0件。
「法律の支配」は10件、そのうち安倍さんによるものは7件。


で、安倍さんはその7件全てで「法律の支配」の語を、
例えば「自由、民主主義、基本的人権そして法律の支配」というように、
「自由、民主主義、基本的人権」と並列して用いている。

本来「ソース示せ」というレスですが、そんなのめんどいので各自でしてクサイ。コピペ臭い?


戻って、最初の序文流れの続きで。

14 :法の下の名無し :2006/10/10(火) 13:34:53
「法の支配=rule of law」は、>>6が言っているように、権力(者)は法に従わなければならない、という意味。


ヨーロッパ中世の絶対王政下では、王の意志がそのまま正統な権力として無制限に肯定されていた(=王権神授説)、つまり王のやりたい放題だった。
そこでは王や王政に反対する者(=政治犯)は、王の気分次第で投獄されたため、後に絶対王政や身分制社会を市民革命で打倒した時、どんな権力(者)も法の枠内を越えてはならないとする「法の支配」が確立された。
要するに、暴君や暴政を法の名の下に抑える概念。


高校の現代社会や政経レベルでは、分かりやすいように「法の支配」と「法治主義」を対置させて教えることが多い。
「法治主義」は、文字通り法律によって社会が運営される、というのが元々の意味だが、そこから転じて、国民は法律に従わなければならない、という意味や文脈で使われることが多い(=形式的法治主義)。
つまり、「法の支配」が権力(者)を法で縛るのに対して、「法治主義」は国民を法(律)で縛ることを意味し、縛る方向や対象が逆になっている。
(法治主義は「法律の支配(=法律による支配)」と言い換えても良い。)
尚、「法の支配」の法とは>>6が言うように憲法(=人権保障を目的とした近代憲法)、更に遡るなら、何人も侵すことの出来ない自然法を指す。


阿部が「法の支配」の意味で「法律の支配」と言っているのなら、憲法の基本が分かっていない、つかブレーンのヤシしっかりしろやw
354に続きが。


17 :法の下の名無し :2006/10/11(水) 02:22:34
>(法治主義は「法律の支配(=法律による支配)」と言い換えても良い。)


日本語の「法治主義」はドイツで成文実定法全盛の時代のレヒツシュタートの 意味で理解されてることが多いでしょうね。この場合「法の支配」とは明らかに 異なります。


それに対して、現代ドイツ語圏でのレヒツシュタートは「書かれざる実体法(あるいは書かれざる実質法)」 とか
「法の一般原則」、場合によっては「自然法」*まで含む概念と考えられているようです。


この場合、人治主義、徳治主義に対する法治主義と言ったらわかりやすいかな?
英国の、国王でさえ法に従わなければならないという「法の支配」とほぼ同じ 意味になります。(従って現代用語としての「レヒツシュタート」を説明抜きで 「ルールオブロー」と訳してる書物も多いです。)


*例として、旧東独国境狙撃兵裁判の最高裁判決。


いずれにしても安倍さんはあんまり法学の基本知識ないんじゃないかな?


94 :法の下の名無し :2006/10/18(水) 02:18:33
昔,安倍氏が某論壇紙(論座か中央公論)で次のようなことを言っていたと思う。


「国会議員(ないしそれに選ばれた総理大臣等)は,国民によって選出され, 信任されたのだから,その権力を制限するという考え方はおかしい。 なぜなら,それは,選出者である国民を愚者のように扱うことだからだ。」


一見,もっともらしい(一般人なら納得してしまうかもしれない)が,
安倍氏は,「法の支配」を理解していないか,あるいは意図的に軽視しているの ではないかと思った。
⇒下記>>285が反論


そういう過去の発言と併せて考えると,「少々不安になる」と言わざるをえない。


285:法の下の名無し :2006/11/23(木) 18:12:15
確認したいんだけどさ、日本でいう「法の支配」ってのは形式的な意味での「法治主義」、まぁ、 ここでは「法律の支配」だけど、それを含むんだよな。
つまり、最低限「人の支配」を排して何らかの「法」による統治を目指すというところでの基盤は 共通なはずで、
「政権与党の作った実定法によってきちんと統治がなされること」も、 「人の支配」を排するという意味では重要な要素でしょ(政権与党が民主的な方式で 選ばれていれば、だけど)。


とすると、「政権与党の作った実定法によってきちんと統治がなされることは大切なことなんだから」
のどこが、「無根拠な主張」で「オベッカ遣い」なのかさっぱり分からんのだが。

288 :法の下の名無し :2006/11/23(木) 22:30:54
>>285
本来含まないけれど、含ませようとしたい人々が政権中枢に多い、ということじゃないですか?


理論的には「形式的法治主義」がナチスの経験を経て「実質的法治主義」でなければ ならないということになり、そのことによって大陸系の「法治主義」と英米系の 「法の支配」が同様のものと理解されうるようになった。


ここで誤摩化しのディベートをやると、以下の過程でナチス的形式法治主義の復権が可能になる。


1)現在では「法の支配」と「法治主義」は同様のものと理解されている。
2)「法治主義」には「形式的法治主義」と「実質的法治主義」がある。
3)従って「形式的法治主義」も「法の支配」の内容をなす。


以上ですね。
「形式的法治主義」というのは要するに「悪法も法である、従って従わなければ ならない」なのですが、現在ではそうじゃないですね? そうなんですか?
という議論です。

関連検索キーワードは、「ハート=フラー論争」とか。(:ナチス体制の合法性をめぐる議論に端を発する論争)

この後の核武装論の応酬は割愛。


ところで、あるあるなゴネ助、その1

22 :法の下の名無し :2006/10/11(水) 19:47:17
別に首相に法学の知識なんていらないと思うが?
何のために内閣法制局や官僚がいるんだよ。
わからなかったら彼らに聞けば良いし、間違っていれば
彼らが指摘するだろう。
首相が何でも知識を身につけているのなら、官僚なんて
いらんだろ?
首相は法を執行する内閣の首長であり、法学者じゃねえんだから。
憲法全文を暗記して理解できている政治家は法曹関係以外
いないだろ。


28 :法の下の名無し :2006/10/11(水) 21:21:27
この国民にして、この首相あり。


32 :法の下の名無し :2006/10/12(木) 12:32:27
安倍って成蹊大の法学部出てるんだろ?
法学部卒がこんなこと吹いてちゃダメだべ。


38 :法の下の名無し :2006/10/13(金) 01:04:09
言葉とはそもそも流動的なものだから。
大事な事は安倍さんが法又は法律に関してある提言をしていることがわかること。
ここで議論ができるくらいには安倍さんの意図は伝わっているという事実。
つまり、安倍さんが間違って用語を使っていると認識できること自体が安倍さんが きちんと文脈を伝えている証明になる。
「安倍は何を言いたいんだ?」と 思ってしまうなら問題だが、「安倍は本当は法の支配と言いたいところを知識がないから法律の支配と言っているな。」
と明確に判断できるということは安倍さんの言葉が機能しているということ。
俺達は国民で安倍は首相。間違っていることがわかっていて、それが重大な間違いであると
思っているなら教えればいい。官邸からメールを送れ。
一国の首相を罵るのは楽しいかもしれないが、俺達の首相だろ?日本人じゃない奴もいるかもしれんが。

悪口するより誰か安倍さんに教えてやれよとのこと。38の人は社交的な性格だったりするんかもしれんが、
だけどさ、そんな添削メール、首相が読むんかな。と。




ありがちなパターン、その2。49。たとえこれが「ですます調」の言葉使いとしても、下っ端チンピラ役みたい。

49 :法の下の名無し :2006/10/14(土) 01:20:15
>>39
えーと、だからなんなの?
今の法体系では、いかなる無学な人間でも、学歴の低い人間でも、
国会議員に立候補する資格があるし、首相になることも可能なわけだよ。
キミが主張したいのは、「憲法の意義を知らない人間は総理大臣になれないよう、法規制を敷くべきだ」ということ?
「国会議員に立候補する際に、一定の知識テストを課すべきだ」ということ?
何を主張したいのか、さっぱり分からないのですが。
頭悪そうに見えるだけなんで、もう少し明快に主張内容を整理してください。


51 :法の下の名無し :2006/10/14(土) 10:45:49
>>22=49?
なんていうか自分も知らなかったから安部さんを擁護してるとしか思えない
トヨタの社長がエンジンの仕組み知らなかったりするのと同じようなの話だよ
普通の人は知らないかもしれないけど、ちょっとかじった人ならみんな知ってる


52 :法の下の名無し :2006/10/14(土) 11:17:11
まあもし首相が憲法を知らないとしたらそれは社長が会社法の基本的なルールや定款を知らないのと
同じくらいおかしなことではあるな。

あと、わたしの覚えたての知ったかぶりで。

249 :246:2006/11/17(金) 01:49:26
>>247
>非論理的な文脈からの推測なのだが…
マグナカルタ以降
、コモンローとシビルローの違いをふまえ、特にホッブス主義の
問題に留意しつつ実証的、論理的に「法の支配」について論じ、この基礎の上で 安倍首相が「法律の支配」と言っている事の意味を論ずる事はできまが、
やって ほしいですか?

※註:
「マグナカルタ」よりか、
アン女王による議会への女王(国王)の拒否権発動を放棄したのが、そもそもの憲法始まりと捉えるべしと、以前に小室直樹さんが言ってました。
以下>>249の続き。「わかりやすい」のを求めるのは別に良いが、前提になる素地を備えないことにはアレです、というもの。

>あれだけの長文ならわかりやすいレジュメでおK?
>とりあえずそっちの「イイタイコト(=主張したいことを)」をわかりやすく!

短いフレーズで重要かつ入り組んだ問題についての説明責任を回避する というのが小泉政治の特徴だったわけでね、そういう路線でやれという 主張そのものが政治的ポピュリズムの主張ですね。

このワンフレーズ主義というのは、政権の側でそれをやれば権力サディズム、 非政権の立場でそれをやったら自発的愚民主義の自爆行為になるので受け入れ られません。(安倍氏の<曖昧主義>というのは小泉ワンフレーズ主義の モデルチェンジだね。広告代理店も仕事してないわけじゃない。)



次のはアメリカの対テロ政策の話で。

101 :法の下の名無し :2006/10/18(水) 17:53:42
>>93
>なんかいつの間にかスレタイとズレて核武装の話になってるな・・・


そうだね。まずいなと思ったけど、「法の支配」を政策のグランドデザインと 考えられない人は「力の支配」に走りがちだからね。
安倍・中川路線を 斟酌してるとどうしても「最強の力=核兵器(これ自体古い発想だけど)」に 論者の注目が集まるのもある意味必然かと。


104 :法の下の名無し :2006/10/18(水) 19:56:26
戦後日本の憲法学会で「法治国家(独法系)」から「法の支配(英米系)」へという 論調が強かったと習ったけど、これは戦前戦中のドイツ、日本の強権的支配統制を 主眼とする法思想から決別し、英米系の伝統的な民主主義法理念に転換しよう という意味だったらしいね。


言ってみれば、法律を支配、統治の手段と考える独法系「法律の支配(旧独日)」と 市民的理性がおのずとみずからに適切な法体系を生み出すという「法の支配」の 違いでしょう。


安倍さんが「法の支配」を「法律の支配」と言い間違えるのは市民的理性なんてものが 日本には根付かなかったってことかな。


皮肉な事に、その民主主義的理性のルーツだったはずの米国で、ブッシュ政権が 大統領権限を無理にか無知故か拡大解釈し、裁判所から掣肘を受けてるというのが 現在の状況だね。


2001年9月にタリバン兵としてアフガニスタンで逮捕された米国生まれのサウジ アラビア人、ハマディの接見禁止無期限拘束について書かれた論文で”Rule of Law or Rule by Law"というタイトルのがあるけど、これなんかもテクニカルに
「強権的法治主義」と「法の理性」の違いを説明している。小泉ー>安倍政権が
米国法曹よりもブッシュ政権に近いという危惧を抱くのは私だけではないでしょう。
_______________________
CHARLES I. LUGOSI, Rule of Law or Rule by Law: The Detention of
Yaser Hamdi., American Journal of Criminal Law 30(2003)pp. 225-278

米国政府は裁判所の要求に正面から答えることを避け、ハムディ氏を釈放しましたね。
ハムディ氏がいかなる罪についても刑事訴追を受ける事が無い事、テロリズムを 放棄し、米国市民権を返上する事、彼の逮捕拘束について訴訟を起こさない事 という条件で政治決着で済ませたということです。


たとえテロとの戦いが「正義」のものであっても、法的に筋が通っていないと 効果は著しく低下し、かえって「筋の通らない事」に対する情動的反発を生み出す というのが普通の法曹の考え方かと思います。


317 :法の下の名無し :2006/11/24(金) 15:36:23
>>316
おそらく、米国の中だと「法の支配」が確立されているから、法の実質的な内容や運用のあり方まで吟味されるけど、
米国法が適用されないところだと必ずしもそうではないから、米国内じゃできないような人権侵害が可能になる、ってことじゃね?



帝国憲法の主権の部分云々は割愛。
次は、英語のWikipediaでの間違いの指摘。わたしはちゃんと読んでないが。

253 :246:2006/11/19(日) 03:00:29
前から気になってたんですが、>>74に英語で「法の支配」の定義が書いてありますね。
どこかで読んだ事のある文章だけど変だなあなと、ふと思いついてヴィキペディアを 見てみたんですがビックリ。


ほとんどコピペだけれど、一カ所オリジナルには無い3語が書き加えられていて意味が まったく違うようになっています。


こういうインチキを平気でやるのがはやってるんですね。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Rule_of_law


254 :法の下の名無し :2006/11/19(日) 18:41:01
いずれにせよ「法の支配」というより「法律の支配」って感じの定義だよね。
ほんとにこの定義でいいのかな?


255 :246:2006/11/19(日) 22:37:26
>「法律の支配」って感じの定義だよね。


「確立した手続きによって採択され、施行される明文法」の<確立した手続き>というのを 決めるのは政府だというのだから、これはもう行政権の立法権、司法権に対する絶対優位を 宣言してるわけですね。


マキャヴェリでさえ、行政権が立法、司法に優越しなければならないのは共同体が 危機的状況に陥ったときだけだと条件をつけているのにね。


262 :246:2006/11/20(月) 22:36:51
私自身で自分で提出した疑問に答えておくと、


1)一般的に流通しているヴィキペディアのような理解ではなく、
政府(あるいは執行権力、行政権)が自ら従うべき法の手続きを 自ら決定するという、セルフサーヴィス型権能を好むというのは、 小泉政権以来の本音でしょう、
そういう含みで「法の支配」ではなく 「法律の支配」と言っているならそれはそれで意味があります。


2)安倍氏の言う「法律の支配」ではブッシュ政権と同様国際法の拘束性を 無視、ないしはつまみ食いしているという点で、通常の「法の支配」とは 異なる。この事を暗喩するために「法律の支配」と言っているならばそれは それで独自の意味を持っている。


以上です。ただしほんとうにそうなら、そうなんだと言う説明責任はある でしょうね。

あと、上の

285
の続きで。

308 :288:2006/11/24(金) 02:32:26
>>301>>285
>確認したいんだけどさ、日本でいう「法の支配」ってのは形式的な意味での「法治主義」、まぁ、
>ここでは「法律の支配」だけど、それを含むんだよな。
>それって法の支配の最低限の前提だよな。戦前はともかく、戦後はそれ以上の意味を含んでるだろ。


前提であるかのように見えて、実は「法の支配」を意図的に掘り崩そうとした人達が かつて「法律の支配」を実行したという歴史的な重みを再確認してください。お願いします。


「法の支配」をそれ以前の「君主絶対性へ戻す」と言う、
単純な試み
ではなく、
一見民主主義的な手続きを取り入れているように見せながら、実は法の基本を 破壊しているという20世紀の新たな手法です。これには現在進行中の政治的ポピュリズム も含まれます。


>>290
>違憲だったらその時点でダメじゃん…


違憲かどうか直ちに解らないように立法するという手法は政治家や高級官僚なら誰でも知ってます。



「法の支配」といった場合、欧米では宗教的歴史的文脈の理解というのがあるが・・・
下のは、いくら日本だからって、これはありえないと思われ。

436 :死刑執行:2006/11/30(木) 23:10:25
つまり単に「法律の支配」という言葉が法律用語として使われていないから 安部を馬鹿にしているわけね。
なんどもいうが、これは日本語の違いなんだよ。
でも日本語の「法律」という言葉にも法全般を指す意味合いがある以上安部の発言は 間違いとはいえないんだ。



ここの連中が意地になって、この場限りで「法の支配」と「法律の支配」に 別の意味を持たせようとしたって、それこそまともな学術用語として定着しないだろうし、 世間での理解なんてさらに得られないだろうよ。


426 :死刑執行:2006/11/30(木) 21:19:09


「法の支配」も「法律の支配」も意味は同じ。


首相を批判したい奴が屁理屈こねて難癖つけてるだけの舌禍問題。
あえて違いを述べるなら、「法」という言葉は憲法・条例などより一般的な響きを持つのに 対し、
「法律」は国会で制定される法律を指す印象が強いというだけ。
法一般の意味で「法律」と使ったのであれば誤りではない。


いくらなんでも。大丈夫かおい。


455 :452:2006/12/02(土) 21:16:39
「法の支配」は法の下での平等、法執行の社会的整合性、均衡を要請する包括概念だね。


「法律の支配」という言い方自体が変 なんだが、


これは個別の法を個別の事件に関して厳格に適用するという意味が強調されて、法共同体全体の整合性、均衡ということが 軽視される表現法だな。


実際にブッシュ大統領がそういうことをやりながら、演説では「法の支配(rule of law)」 という言葉を頻発するところが英語圏の法学者には気に障るようだ。それで rule of law  なのか rule by law なのかという議論が去年あたりからいろいろな法学雑誌で 話題になっているんだね。もちろんブッシュは rule of law と言いながらrule by law をやっている、というのが法学者多数派の見解だ。
これは安倍氏の「法の支配」、 「法律の支配」の混同とまったくパラレルな現象だね。


456 :439:2006/12/02(土) 21:28:32
もう一つ、安倍首相とブッシュ大統領の共通点を上げると、両者とも国際法の
拘束性を軽視ないしはつまみ食い的部分適用を選好しているという点だ。


「法の支配」が国際法を含む事は間違いない。特に強行法規 juscogens(強行規範とも)
対 世的規範ergaomnesに関しては、ここ数年で国際的共通認識が格段に 進捗しているのだが、ブッシュ、安倍両氏ともこれを全く無視している、というか
知らないんじゃないでしょうかね。
首相や大統領がこういうことに無知だというのは 偶発現象としてありうるけれど、そういう政権が長期間継続すると、官僚機構の 人事でそのような欠陥が制度に組み入れられ永続化するという問題が出てくるね。

387 :法の下の名無し :2006/11/28(火) 03:30:29
「法の支配」「実質的法治主義」vs.「形式的法治主義」「法律の支配(rule by law)」
の区分と、憲法改正限界との関係で考えてみたのですが、たとえば旧ソ連の解体、複数 共和国の成立は、「法の支配」の枠内で行われたのだけれど、「法律の支配」の枠は 崩壊させたと言えませんか?


憲法改正限界を突破する事は必ずしも「法の支配」を崩壊させることにはならないけれど、
ナチス時代の立法は「法の支配」を破壊させるが「法律の支配」の範囲内にあった
という、ソ連崩壊とは逆の組み合わせになってますね。

アガンベン『ホモ・サケル―主権権力と剥き出しの生』のp.62-63を、わたしは今、参照中。詳細説明は、
すごく長くなりそうで、大変。


あ、でもちょっとだけ補記。
その62、63ページ部分(つか全編にわたり)形而上の設定を要請できないと、理解出来ないのだぜ?
その「形而上の設定を要請できない」を、以下の批判。

ホモ・サケル―主権権力と剥き出しの生

ホモ・サケル―主権権力と剥き出しの生

p.62より
(すべてを規範によって規制しようという、今日の非常に全般的な傾向にしたがった領域においては、次のテーゼが次第に同意を得るようになっている)
すなわち、構成する権力をあらかじめ見込まれている改正権力へと還元しようとし、憲法の生まれる元となる権力を、法に先立つ純粋に事実的なものとして脇に取り除けるというテーゼである。

・・・というのが、おヴァカなテーゼなんだよ、という下り。
次のような逆説に満ちた両義的な(:メビウスの輪的・クラインの壺的)設定に、まず耐えられないようじゃ、思想的にダメダメなのだぜ?と。その両義性を解消するために
「法に先立つ純粋に事実的なものとして脇に取り除」こうとするなと。

p.62より
構成する権力の原初的かつ還元不可能な性格
(補注:自己言及的だったり、「前提を前提にして維持される」とか、あとまだ書き尽くせないエトセトラ)
を肯定するテーゼは次のようなものだった。
すなわち、構成する権力は、「これこれ」と規定されている法的秩序による条件付けや強制を何であれ受けることはなく、あらゆる構成される権力の外部に必然的に自らを維持する、というものである。


p.63より
このように見ると、「憲法はまず構成する権力を前提する」というシエイエスの有名なテーゼは、これまで指摘されてきたような単なる自明の理ではない。
むしろこのテーゼは、憲法は構成する権力として自らを前提する、という意味に取らなければならない。

こういう構造が「三位一体論」的(あるいはメビウスの輪的・クラインの壺的)なんだね。

p.63より
この形であれば、このテーゼは主権の逆説をより含蓄あるしかたで表現するにちがいない。
主権権力は、「法治状態とのあいだに締め出し関係という仕方で維持される自然状態」として自らを前提する。
主権権力はそのようにして、構成する権力と構成される権力へと分裂し、その二つが不分明になる点に自らを位置づけることで、両者との関連を保つ。

ゆえに、

p.62より
(構成する権力/構成される権力の)この二つの権力間の関係を調和的に構築する事はできないということである。
<中略>
これは、しばしば憲法の条文そのものにあらかじめ規定されている改正権力に関してもあらわになる。

その両義性に耐えろ、ていうお話でした。



あー疲れた。
まとめ(っていうんかな)、疲れるね。読み落しあっても、ごめんなさい。
ここまで、ず〜〜っと全部目を通したよという人、あなたはとてもエライ。きっと、このYOWに選ばれた人なのです。
どうもありがとう。愛してまーす。


「法の支配」は、日本では憲法の事ではないのかどうか、調べないとヤヴァイ。はてブで軽くコピペ吹いてしまった。
先に調べて分った人いたら、教えてね(しばらく他力本願)。


〜〜続きはhttp://d.hatena.ne.jp/YOW/20070404で。〜〜