パールハーバーとマウナケア山に行ってきた、まとめ。戦艦ミズーリ、すばる望遠鏡
パールハーバー、戦艦ミズーリ記念館 片っ端から写真貼っていく。
8月26日から29日までホノルルのパールハーバーに行きました
戦艦ミズーリへは、今年降伏文書調印のテーマで150号の大作に再度挑戦するため、取材というか、艦を体感しに見にいきました。ミズーリはプラモデルも作りまして、それを元に大まかで精確ではないのですがShadeも作りました。
記事トップの星条旗は、ペリーの黒船が日本来航した時に掲げていた旗で、マッカーサーが降伏文書調印式の時に飾らせたわけですね。
これ良い写真ですねぇ〜〜〜。
「撮りましょうか」と言って下さったガイドさんにiPadしか渡さなかったので、残念ながら一眼レフでは記念撮影してないのですが。
ご教授下さり、ありがとうございました。m(__)m
朝10時、到着すると、日系人男性のガイドさんが近づいてきて「案内しますよ」と申し出て下さった。この方は、ベトナム戦争時に徴兵で出征したと仰っていた。まだお客さんは少なくて、私1人のために40分ほど艦内の案内をして下さった。
ミズーリ艦全景。あーなんか、人形が・・・。
タイムズスクエアで終戦を喜ぶ、有名な歴史写真を再現した人形である。
ここが1945年9月2日に連合国側代表と日本側代表が集まって、降伏文書調印式が行われた所。外務大臣の重光葵が立った位置をガイドさんが教えてくれて、そこから撮ってみた。割に狭い。ここに一杯のカメラマンと、搭乗員が押し寄せて見物してたんだよね。
テントが張られてなければ、ここ写真に撮ってそのまま絵に使えたのになw
調印式の時の写真。
この砲台の上にも、若い水兵たちがよじ上って式典の見物をしていたのだ。
外側から見た所。
えーっと、何て言う型の砲台かな?これが昔は10何基か設置されてたんだが、
レーガン時代から後方はトマホークに取って代わられてると。
↓え〜〜っと、こ、これが、トマホークということなんでしょうか。それとも上の写真のミサイルがむき出しになってる部分だけが「トマホーク」なの?
トマホークだと思ってたミサイルが、ハープーン対艦ミサイルとある。四角の箱がやはりトマホークだった。URL
ちなみに、レーガン時代に改装されて今に至るのだが、現在もこの艦を稼働させようと思えば出来るんだそうだ。速度は33ノット出ると言ってたっけ。
艦に入る架橋から撮った、船尾方向
同じく架橋から撮った艦橋。後ろの一番高いのと真ん中のレーダーの形が、1945年当時とは違う。
機動戦士ガンダムでブライト艦長が「ブリッジ(艦橋)に上がってこい!」と台詞で言うけど、ブリッジ=司令室というイメージだったのだが、この全体がもう艦橋なんだよね??
@YOW_ 「艦橋」についてですが、第二次大戦末期以降の軍艦では艦橋は艦を操縦するための「運転席」のような役割で、戦闘を指揮する司令室的なものは別の場所にあります。ミズーリでは多分艦橋やや後方の船体内に「戦闘情報センター」という部屋があるんじゃないかと。
2011-09-14 19:43:11 via ついっぷる/twipple to @YOW_
ブリッジの首を見上げた所。前にあるのも、レーダーだよね??
@YOW_ 大砲の射撃管制装置ですね。小さなレーダーで測定した目標までの距離と角度、目標の進路とスピードを、その下の箱状の構造物に収められているアナログコンピュータに入力して、正しい射撃方向・距離を計算結果として出力します。
2011-09-14 19:14:04 via ついっぷる/twipple to @YOW_
@YOW_ いいえ5インチで正解です。Mk37射撃管制装置は片舷3基ずつある5インチ両用砲(航空機・水上目標の両方を撃てる砲)の射撃をコントロールしています。合計4個装備されています。
2011-09-14 21:30:09 via ついっぷる/twipple to @YOW_
レーダーその3。45年当時は、前方に一杯トゲトゲがついたタイプで、現在の形とはまた違う。昔の再現のプラモで描いたので、ギャラリーに来られたお客さんにも「このトゲトゲの、なんですか?」と質問されたっけ。
第二次世界大戦末期のレーダー開発については、NHKオンデマンドで『ドキュメント 太平洋戦争 第3集 エレクトロニクスが戦を制す 〜マリアナ・サイパン〜』を旅行前に観た。https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2011030031SA000/
太平洋戦争の行き着く先を示し、日本の敗戦を決定づけたマリアナ沖海戦。この戦いの背後には、日米の熾烈(しれつ)な技術開発競争がありました。第3集では、新たに発掘された日本のレーダー、信管(しんかん=起爆装置)の開発記録の映像と証言をもとに、日米双方の技術開発の思想を探り、技術戦争としての太平洋戦争の姿を明らかにします。
レーダー技術で、日本は大きく遅れをとってたわけだ。やっと開発にこぎついたレーダーも、目測するのと大して時間的に差は無かったというレベルだった。
一方、日本に先んじて性能の高いレーダーを備えたミズーリ。日本の特攻機が近づくのを事前に察知して砲台を稼働し、撃墜することが出来た。
右は1945年当時を再現した模型。レーダーその1(5インチ砲射撃管制装置)は45年の時と多分変わってないが、その2とその3のレーダーはレーガン時代、湾岸戦争出航前の改装で替えられてる。
ここを司令室って呼んで良いの?中は、意外と狭くて天井も低かった。ブリッジというと、どうしてもガンダムとかアニメでのイメージがあるから。
@YOW_ 「艦橋」についてですが、第二次大戦末期以降の軍艦では艦橋は艦を操縦するための「運転席」のような役割で、戦闘を指揮する司令室的なものは別の場所にあります。ミズーリでは多分艦橋やや後方の船体内に「戦闘情報センター」という部屋があるんじゃないかと。
2011-09-14 19:43:11 via ついっぷる/twipple to @YOW_
@flowerclass 中の部屋はどこもけっこう地味で、見落としてたかもです。写真撮ったかな・・・
2011-09-14 20:33:02 via Echofon to @flowerclass
艦橋の上ってくとこ。ペアルックの男女の下にある洗面所の石鹸置きみたいなとこに、救命ボートが設置されるんだよね?
主砲(16インチ砲)。ガイドさんは、主砲は30km以上まで届く、って言ってたっけ?
★マークのカバーはこの時ついてなかった。
主砲の側面。2階建て構造だったっけ。戦闘時はこの中に10何人か入るのだけど。
ブリッジの窓から臨むと
主砲の側面についてる耳みたいなの。これ何かな。
@YOW_ 主砲の側面についてる耳のようなものは、予備のステレオ式レンジファインダーです。本来主砲は艦橋構造物のてっぺんにあるマーク38射撃管制装置(レーダーその3)から観測データを受け取りますが、装置が破壊されたり通信が途絶したときのために、主砲塔からも観測が可能になってます。
2011-09-14 20:53:23 via ついっぷる/twipple to @YOW_
ミズーリの記録映像DVD、朝鮮戦争で市街に向けて思いっきり主砲撃ってる。これ見て米市民はどう思うものかなとか。
2011-09-14 13:45:07 via web
@YOW_ ミズーリは,浜松とか釜石にもカンポーぶちかましてますが,それはどうなのか,とかw
2011-09-14 13:49:15 via twicli to @YOW_
@YOW_ 沖縄でも茨城でもドンドコ。別に何とも思わないんじゃないでしょうか。
2011-09-14 13:57:04 via ついっぷる/twipple to @YOW_
@YOW_ 当然ながら,戦艦がそこまで近づけるってことは,本邦は完全に抵抗出来ぬ状態のところに蹴り入れるような所行ではありますね. 私の父も,そのころ海軍で三陸沖を哨戒してたそうですが,もしそんな化物に会敵してたら一瞬で消去されてたところです.
2011-09-14 14:01:30 via twicli to @YOW_
@YOW_ ミズーリに艦砲射撃を食らった町に住んでおります。近所の畑からは16インチ砲弾の破片がごろごろ出てまいります。
すごく基本的な知識が欠けてる。。。この先が黒いの、これは何ていうの? (--; あうあう
@YOW_ そして「先が黒いの」はボイラーの排気を出す煙突です。
2011-09-14 20:59:26 via ついっぷる/twipple to @YOW_
船頭方向
船尾はなぜか写真撮ってなかった。昔は船尾に飛行機のカタパルトが2列あったのだが、80年代からはヘリポートに換わってて、今はテントに覆われてた。
入場口に置かれてた投光器。あーー作ったわこれも。Shadeで。よう分からんと大まかなのを作ってただけだけどー
まあ、ミズーリはこんなもんで、どうでしょうか。。。中の船室も撮ったんだけど、リクエストがあれば、上げることにします。
あと、空軍航空機ミュージアムとかランドルフ砲台跡陸軍博物館にも行ったけど、割愛します。
ハワイ島 マウナケア山頂天文台群
29日からは、マウナケア山頂の星空を見に、ハワイ島に飛んだ。ここは、各国の天文台が立ち並ぶ、マウナケア天文台群として知られてる。
ハワイ島の山は、どれも大変になだらかで、マウナケアは4200m超える太平洋上で一番高い標高なのだが、四駆自動車で登頂出来てしまう。ただし、車両規制等もあって自力で行けないので、ネイチャーツアーに参加して、連れて行ってもらった。
夜中2時に集合、3時頃に5合目辺りにある休憩所で星空の観測をした。29日から30日は快晴に恵まれ、新月の日を狙って行ったので、絶好の星空日和だった。3時には黄道から太陽の光が二等辺三角形状に、うっすらと立ち上ってるのが見えた。夜明け前まで2時間ほど、満天の星を見られるのはあっという間に終った。
それから、標高4200m超の山頂の天文台へ移動。5合目で既に気温は3度、山頂はマイナス5度だった。山頂は全く植物も生き物も居ない世界で、火星に降りたようなSFみたいな情景だった。
日本の国立天文台すばる望遠鏡である。
山頂からの帰り道は、夜中の移動時には見えなかった、ハワイ島東部の四方の丘陵が続く風景が楽しめた。ここは雨量も少なく土も玄武岩で覆われていて、樹がほとんど生えていないので、はるか亜麻色の草原の丘陵が続くのが臨める。車窓から写真を撮る気にはなれなかったので、下のはWikipediaから拝借。
ニューヨーク〜ハワイ16日間の旅行の〆めに、海に沈む夕陽を見た。これも生まれて初めての経験だった。