蠅の女王

小倉涌 画家 美術家 アーティスト 歴史画

展覧会の感想をTwilogから発掘する(六.五)藤田嗣治展

今年のシメに、今年行った美術展をいくつかピックアップしておく。その2

没後50年 藤田嗣治展 (2018年10月 東京都美術館

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藤田嗣治回顧展の感想をボチボチと連投。
藤田の父親がソウルで軍の偉いさんだったのだが、26歳、渡仏する直前にソウルへ行って、オーソドックスな画風で田舎の油彩風景を描いていた。藝大時代よりもグッと明るい仕上がりにしていて、絵の具を濁らせず、影部も黒や土系の絵の具をあまり使ってなかった
2018年10月10日

1913年 『朝鮮風景』

この風景画、何の変哲も無いけど、のちのキュビズム時代よりも丁寧に描かれている。藝大でどう教わってたのか一端を知るような感じだった。よく言われる「黒田清輝が誤った油彩画を教えて云々」の特徴が、この絵には現れていない。


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乳白色の時代ごろになると使う色数をかなり抑えるようになるが、この時はとりあえず色は沢山使ってて、うるさいと思えるほどではないけど。この後、27歳でキュビズム時代に入ると色が濁り出して、乳白色に墨の時代に突入する直前まで色は暗かったり淀んだ状態が続く
2018年10月10日

1918年 『パリ風景』東京国立近代美術館

一応、初期は物資の苦労はしてたのかなあという気もしないでもない。分からんけど。絵の具の選択にこだわりが出てないのだよぬ


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藤田嗣治:31歳の時に描いたモンマルトルの街の風景画(画像は検索出てこなかった)この辺でグンとブレイクスルーしたような感があった。それまでの絵では、人物描いてても顔がキマってないなあとか、黒色絵の具にこだわりがまだ無さそうとかあって、このモンマルトルの絵で、黒使いの個性が出てきてる
2018年10月10日

このモンマルトルの絵がなぜか図録にも載ってないのだが、
乳白色以前の藤田が模索中だった頃の「キマってない人物像」というのは、例えば以下の作品、これらは展覧会図録から。この頃は、人物造形が未熟で誰かの作風をとって付けたような感じがある。
上:1914年 ‘Portrait of Ms. Chantal’、下:1917年 ‘Three young women’

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藤田嗣治:モンマルトルの風景画、いわばユトリロみたいではあるが、白地の白の綺麗さや、白地に溶け込むよう描かれたサクレ=クール寺院、それに対して黒いシルエットで描いた街路樹との対比、というのを意識してる感じ。
2018年10月10日

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藤田嗣治:あ、その前の30歳の時、パリで大和絵プラスギリシャの壁画を取り混ぜたような人物を描いてて、この時すでに油性に墨を併せ使いするというウルトラC(死語)をしてる。油性と水溶性を同じ画面で使うのは、ちゃんと定着しないので誰もやらない。藤田がなぜこれを可能にしたかは最近明らかに。
2018年10月10日

藤田の独自技法についてはこの本参考に。
藤田嗣治の絵画技法に迫る:修復現場からの報告

藤田嗣治の絵画技法に迫る:修復現場からの報告

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藤田嗣治:この「油地の上に墨」技法初頭期に描いた大和絵ギリシャ風な絵は、色数が多くて色彩センスはあまり洗練されてない印象はあった。かつ人物の顔はモディリアニにも似ていて、ちょうど1917年にモディリアニを扱う画商と契約したというところが面白い。
2018年10月10日

1918年 『目隠し遊び』

人物造形はどうしてもモジリアニ風に見えるよぬ。色数が無駄に多く配色センスが幼稚な感じがする。原色の赤青緑をあまり考え無しに置いてるなと思う。後年の洗練された色のセンスからしたら、こんな時期もあったのだなあと感慨深いものがある。

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藤田嗣治:1918年31歳の、食材用の死んだ兎とネギを並べた台所の静物画、ここで、藤田の特有の色彩センスが完成されてる。油地に墨、色数は抑えてる。この時の絵で、西欧木造建築の漆喰による白壁から、のちの白地を生かす技法に気づいていったんだなと思った。多分。
2018年10月10日

 これも、図録にも掲載されていず、検索でも探したが見当たらない。いい絵でした。


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藤田嗣治:1919年『私の部屋』、ここで完璧に出来上がってた。これぞ藤田の色彩、藤田の描線、藤田による技法、藤田の乙女チックラブリーな世界。クロスの浅いローズ色の愛らしさ。アンティークの木製チェストは墨で木目を丹念に描いてる。輪郭の墨の描線はペンで引いたように細い。完成度が高い作品
2018年10月10日

1921年 『私の部屋』(ポンピドゥーセンター蔵)

 白描を全面に出してやっていく段階に至って、色彩のセンスもグンと洗練度が上がった。これは下地のマチエールも丁寧で、しみじみと良い作品だった。


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藤田嗣治:1922年の肖像画。実際にかなり自身のファッションセンスが磨かれたのか、色彩の配置にも成功してる。セルリアンブルーのシノワズリーのドレスに大きな翡翠のペンダント、翡翠色のシフォンらしきブラウスの袖、翡翠色のストッキング!そんな色のストッキングがあったのか?
2018年10月10日

1922年 "Portrait of Emily Crane Cbadbourne" シカゴ美術館蔵

 油彩で白描やる独自手法にたどり着く以前は、決して色彩センスが良い人ではなかったように思う。色彩センスが悪い、というのは、例えば色に対するテーマが絞れてなくて何でも手当たり次第盛り込んでしまうとか、彩度明度の違いを考えずに配色してしまうとか。色彩センスだけは、色んなコツを身につけるだけで誰でも向上する能力ではある。あと、絵画で言えば、絵の具の品質に対するこだわりは大事で、色さえつけば何でも良いというわけにはいかない。


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藤田嗣治:1923年のラブリーな裸婦画。お腹ポンポコリンの猫。藤田好みの彩度低めのローズピンクが背景の壁紙(このデザインも良い)にも裸婦の肌にも使われている。シーツの皺は墨で表現され、この独自の技法も完成されている。この時、地塗りは完全に平滑な塗り、以前のはマチエールつけていたのだが
2018年10月10日

1923年 『タピストリーの女』京都国立近代美術館

 これもモデルとの親しみの情だったり温かいものが感じられて、いつ見ても微笑ましい良い絵だと思う。人物造形についても、この時はもう完成されていて、手法も人物も藤田オリジナルがしっかり出来上がっていてもう迷いがなくなった感じ。


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藤田嗣治:墨使いや地塗りといった独自技法だけでなく、個々の猫の個性、モデル女性の個性、インテリアやファッションにも細かく考えて描いてるのが分かる。
2018年10月10日


 ここから感想にかこつけて自分の話をしだす私w

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藤田嗣治:先日の個展で若いお客さんに言われたこの藝大臭wについて観ながら考えてたのだが、テンペラの場合は半水溶性半油性のエマルジョンだが、油性だけを使わない利点というのは大きいなと。藤田の若い時からパリ時代までの変遷を追って観てても改めて思うのだった。
2018年10月10日


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この個展での会話の時、「テンペラ使わなくても、油彩だけでも描けますよね?」と訊かれて「描こうと思ったらそりゃかけるでしょうけど」と答えたのだが、水性や半水溶性だと、クッキリとした線描の表現が出来るのと、ハッチングはやはり画面がカチッと締まるの。油性だけで仕上げると全体がぼやける
2018年10月10日

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藤田嗣治:藤田も、油性絵の具だけでやってたのを経て、水性画材との併用に変わったが、線の表現がそれで可能になった。
そういえば、昔の知り合いで、ハッチングで描かれた人物は怖いから見たくないという人がいて、ハッチング人物画恐怖というのがあるのかと思ったものだ笑
2018年10月10日

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私がテンペラ油彩を勉強したのはデルナーというドイツ人が戦前に書いた本で、藝大由来というより、まあなに由来なのか。訳したのは佐藤一郎というテンペラ界の有名人だが、邦訳者と著者というのは違う。あと美大教育の弊害みたいな話には、全然ピンとこないよ派
2018年10月10日

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若いお客さんでなぜか「黒田清輝以来ヘンな油彩技法の日本」という逸話を語る人が3人いて、東京ではまずこの話からするのかという発見w「だから日本で油彩を学ぶのは難しい」と言う人もいて、それは関係無いだろうと。ヨーロッパの古今の油彩なんて都市部で年中見られるし、美術って半分は観て学ぶもの
2018年10月10日

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古今の先達者の油彩作品をたくさん観てさえいたら、別に黒田清輝云々は関係なく無いか?
2018年10月10日

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デルナーの技法書が良かったのは、ルーベンスに軸をおいて解説してたこと。ルーベンスは、習作や未完成作をたくさん残していて、完成までの途中経過がわかりやすい作家なのだ。日本でも観られる機会が多いしね。
2018年10月10日

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残りは、今日はもう遅いからまた明日。戦争画の話題は散々したのでとばす
2018年10月10日


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藤田嗣治:油彩だけで描かない利点・水溶性の絵の具と併用する利点というのは、この1923年に描かれた猫絵の小品の繊細さからも分かる。画像では分かりにくいが、白い油彩の絵の具と墨だけで、あとは極僅かな色味を感じさせるのみ。面相筆で、グラフィカルとも言える細く抑揚無くひいた墨線、
2018年10月11日


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藤田嗣治:その代わりに、ボカシ筆で温かい感じで陰影を墨で表現してる。描線はキリリと冷たく、陰影は温かく。これを墨で表現してる。ふつう、こうしたシンプルな小品は紙に描こうとするだろう、が、藤田オリジナルの併用画法を敢えて使うと。白地は平滑に綺麗に塗られた油彩で落ち着いた光沢がある
2018年10月11日

 画家の方と話したことがあるが、猫を描いた絵画に関しては、藤田の手法が群を抜いて猫らしい


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藤田嗣治:1930年に中南米周遊に出てるが、旅先では油彩のみのと水彩のみの作品を残してる。油彩のみで描かれたこの風俗画は、悪くもないけど、墨の併用で描いた作品と比べると、藤田の個性が死んでて精細に欠けてる。中南米社会主義美術に触発されて目先変えようとしてみてるんだろうけど
2018年10月11日


 藤田の場合、油彩のみだと急に精彩に欠けるようになる。構図や色は、パリ初期のキュビズム時代と比べて良いけど。

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藤田嗣治:一方で、紙に水溶性絵の具のみで描かれた風俗画は、油彩のみの時と違って、唸るほど完成度高い。藤田嗣治はやはり、水溶性絵の具の特質あってこその画家だと思う
2018年10月11日

1933年『ラマと4人の人物』三重県立美術館蔵

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藤田嗣治:油彩のみで描くと精細さに欠けていくという傾向は、のちの戦争画にも特徴として出てたかと。
2018年10月11日

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藤田嗣治:メキシコ時代の水彩画は、漂白されてない紙を選んで使ったと思いきや、どうも白い部位は塗り残してるのかなという感じで、茶系で地塗りをしてるのかも。白地時代とは違う手法に挑戦してるが、近代日本画の絹本の作品で、こういう地の色にしてる作例をよく見るので、日本画を参照にしてるかも
2018年10月11日

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藤田嗣治:この有名な寓意画は1940年作か。日本に帰ってからだよな。まだ絵の具の備蓄があったのか(もしくは戦時中は出し惜しんで持ってたか)、藤田ならではの絵の具へのこだわりも復活。背景の黒は、「花のブリューゲル」の背景の様に、透層用の白を混ぜてしっとりさせている。
これは名作ですよぬ
2018年10月11日


 花のブリューゲルが背景の黒色に混ぜたのは、クレムス白といいまして。


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藤田嗣治:戦後、シレッとこんな可愛い作品を描き出して、何なんだこいつはと改めて人間性疑うわなw 裸婦の方、周りの擬人化した動物の服の着方が、ちょうど3歳くらいの幼児が自分でパジャマ着たような、絶妙な雰囲気を出していて、実に巧いというか可愛いというか。可愛い絵だけ描いてりゃ良いのに。
2018年10月11日


人間性疑うというのは、いろいろ過去記事に書いたりしたけどw 藤田君はおバカさんだけど、絵描きとしては好きなのだった。



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藤田嗣治:戦中と戦後でシレッと題材変えるのは、藤田という人が大局で先を見通すような能には欠けてて、深く思い詰めて内省するタイプでもなく、その時の細々とした愛らしい物との生活感で制作していく方に向いてたからだが。
戦後、カトリックに入信して描いた宗教画も、皮肉にも大変良い作品である
2018年10月11日


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藤田嗣治:多少、忸怩たる思いがあって入信に至ったんだろうけど。戦後に手のひら返しでGIと交際してふざけて写真撮るような良い加減な人が、こんな良い聖母の顔が描けるなんて、皮肉なもんだなあと思う。ここまで完成度高い聖母もなかなか無い。衣襞の造形は、北方ルネサンスの木像を想起させる。
2018年10月11日


この聖母の人物造形は、ほんとに素晴らしい。

藤田くん、良い加減なヤツだけど、君のことココロの友達だと思ってるよ