蠅の女王

小倉涌 画家 美術家 アーティスト 歴史画

アート関連の言葉の耐えられない軽さ

 先日電車でぼんやりツイート眺めていたら、こんなnote記事が流れてきたんじゃ。
www.evernote.com


 アートあるあるでしかも良記事なんで、これは向かい合ってみないわけにはいかなかった。原文記事にて言及されてた他の記事、映画もチェックしてみた。

 【意訳】アート関連の理解不能な文章、よくないよね より

全ての専門分野には、この手の意味不明な専門用語がかたちを変えて存在している。
非常にわかり難い、気取った言い回しの、排他的かつ無意味なことば。
まるで招待客に説明しないまま内輪ネタを話し続ける、最悪なパーティーの主催者のようだ。


だがアートの世界の隠語、通称 インターナショナル・アート・イングリッシュ(略してIAE)はすぐには無くないようだ。
この呼称を命名したライターのアリックス・ルールとデイヴィッド・レヴィーンは、IAEの白痴を指摘する大胆なエッセイをトリプル・キャノピーに掲載した。
だがそれは2012年の話だ。この6年間で批評家やコピーライターたちはその方向性を変える姿勢を見せてきたのだろうか。少なくとも私は気づかなかった。


 言うまでも無いが、アート界の難解な言い回しのほとんどが、専門用語ですらないし、プレリリースが難解な文章であったならそれは、単なる飾り、作品の引き立て役を担っているだけだと理解すればいい。記事は英語圏でのアートワールドについて書いてあるが、日本の日本語文においても状況そっくりそのまま移植されてる。最近では、科学をテーマにした企画展で、難解さを着飾ったステートメントに出会うことがあった。
 実例を示せたらいいけども。科学テーマの場合、私が指摘するには充分な知識が無いのでdis止まりとならざるをえない。


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サイエンスアート今から観るだ
17:07 - 2018年10月8日

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ギャラリーだったので無料じゃった。バイオアートがテーマなのかな。ロバート・スミッソンの出展があるから何かなと思ってたら、小さいシンプルな写真1点だった(アート展あるある) なんかひねりが無いというか、NHKスペシャルの二番煎じのようで、そこはマンガや小説と違ってアートの限界を感じた
18:45 - 2018年10月8日

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ETVで見る海外ドキュメンタリーテレビとかそういうので観たようなアイディアで、数十年先まで残す作品として制作されてないんだなというのは分かるので、
まあ、一人で考えて作る限界でもあるし
19:08 - 2018年10月8日


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サイエンスアートは、アーティスト一人で一つの作品やるより、それこそドラマの脚本チームみたいに、構想練れる人4〜5人で共同制作した方が良いかもね、分からんけどな。
19:13 - 2018年10月8日

 作品が持つ内容と、ステートメントによって示したいと願ってる規模の釣り合いが取れてないのを言ったのだが、フーコーについて改めて百科事典的な説明をしてみたからといって作品の評価にどう関係してくるのだろう?基本的によく知らないことを扱う際は非常に多くの準備が要るものだと考える規範が、やはり美術界全体には昔から無いのだと思う。

 「政治」をテーマにした作品においても、文節ごと、選択された単語ごとに引っかかってしょうがなく、「関東の芸人が使う変なイントネーションの大阪弁」を聞いてるような、居心地の悪い思いをすることがある。そこでは「近代」とか「システム」とか「権力」といった何の専門用語でも無い単語でであっても、その言葉の歴史的思想的背景はあまりに膨大で、それを勝手なおもちゃのように簡単に散りばめてるのを見るが、美術館での企画の場合は誰がそれを許して通してるのか、昔からの謎であった。美術修復と作品保存と厳密な空間展示に関しては日本の美術館は本当に素晴らしいのだが、作家やキュレーターが書いてきた文章や言葉に対しては恐ろしくアバウトになる世界なのである。


 そんな美術館企画での謎状況が再現された映画がある。上のnote記事にて紹介されていた2017年製作の映画である。
www.transformer.co.jp
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 舞台はスウェーデンの王立美術館。作中で、学芸員たちを前にして若い二人組の映像作家が企画プレゼンを行うのだが、この内容がいかにもあるあるで、良くリサーチされて書いた脚本だと思う。長いが、以下に引用してみる。下線をした箇所は、もし私がその場でプレゼン聞いてたら「これは聞くに値しない」「何も考えてない地雷臭すごい」と感じる言い回し・言葉である。文節ごと、選択された単語ごとに引っかかる、絶妙なリアルさのあるあるある再現であった。


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「今回のプロジェクトは、話題性が抜群で、人道的議論も呼び起こす催しです。ただ問題は、メディアの雑音にどう対処するか、どう鎮めるか
ライバルは他の美術家ではなく、自然災害とかテロリズムとか極右政治家の言動なのです。それを頭に入れて聞いてくださいね。」

話始めののっけから、このエクスキューズがくる。

「私たちが提案するのは「動くメディア」です。動画制作の際に考慮すべき点は、人の注意力が長く続かないということ。」

このエクスキューズ自体が、「この作品の内容」の全てであることを、おのずと示してるようなものである。

「人は2秒再生して面白くないと思えば、次の動画へ移る。遅くとも10秒から15秒間にインパクトのあるシーンを作り、多くの人がシェアすれば、FacebookSNSからタブロイドへとうわさが伝わってきます。バイラル効果を狙うんです。それでは何を取り上げればシェアされ易いのか、市場調査を行いました。」

 ここは全部下線を引きたいが、そうすると読みづらくなるので、もう、下線は無しで引用続ける。市場調査と称して実際は彼らは家で何をしていただけなのか、想像に難くない。しかし、学芸員の中で一番若い人は、彼らを信じている表情をしている。おそらく彼女がこのユニットを推薦したのだろう。ベテランの2人はこの後から不安で顔を曇らせていく。

「一番は、弱者の話です。具体的に言えば女性たちや障害者の人達、人種的な差別を受けてる人。LGBTQの人。こうして挙げるとキリがありませんが、中でも最も多かったのが、物乞いです。そこで、作品の主人公は物乞いにします。大きなインパクトを与えるために、子供を使う。ダメ押しで、美しい金髪を持つ幼い女の子を起用します。典型的なスウェーデンの子を。待って。(学芸員の発言を制止する)」

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「オープニングは王宮の中庭。『ザ・スクエア』も見えます。商品は冒頭から出すのが鉄則だ。『ザ・スクエア』に向かって、夜明けの光が差し込んでくると、四角形が信頼の輝きを放ちます。思いやりや正しい勇気や善意に充ちている。」

ザ・スクエア』というのは、このユニットとは関係のない他の女性アーティストによる新作のインスタレーションである。人の作品を踏み台にするという、これもあるある感に溢れてるw

「そこへ、少女が現れる。体を震わせて、たった1人で泣いている。汚い毛布に身を包み、まるでホームレスのようだ。映像観た人の心をつかむ。少女の衝撃的な映像に目を離せなくなる。少女は震えて、スクエアに入り、ここで意外なことが起こる。『ザ・スクエア』の精神に似つかぬ展開だ。その意外性が話題を呼び、世間の注目を集めれば、美術館がメッセージを伝える上で非常に強固なプラットフォームを作り出すことができます。価値観を提示したり、課題を訴えたりがスムーズにいく。」

少女性を前面に立てて、何か政治的切実さを醸すという視覚芸術あるある。
そこへ顔を曇らせつつベテラン学芸員が話し出すが、どうも作家への切り込みが頼りない。

ベテラン勢:「んー、面白いわ、全く予想外ね。小説みたい。物語がある。それが狙いだから。なるほど。」


若い学芸員:「だけど、意外な展開って?何が起こるのか気になる。内容によると思うんだけど…」


アーティスト:「それが実は、細かい具体的なところまでは未だきちんと詰め切れてなくて。いずれにせよ、少女がスクエアの中で傷つくような展開にするつもりです。」


若い学芸員:「傷つくって、何よ!?どうしてそんな展開になるの!」


アーティスト:「少女が傷つく、それは最も観客を裏切る展開で・・・・」


(ここでチーフキュレーターが登場、実はここでプレゼンが行われてるのをすっかり忘れていた)


ベテラン勢:(アーティストに向かって)「斬新な企画よ、しっかりアピールして!」


チーフキュレーター:(企画書を適当にめくり)「ふん、ふん、これで問題ない」
(そして急ぎの用で部屋を去っていく。明らかに文を読んでない)


ベテランその1:「なんだか、怖いわ…」


アーティスト:「何も怖くない。」


ベテランその2:「えー、世間の反応について心配する必要はない。うちはきちんとした危機管理を行っているからね。あらゆる事態を想定して前もって対策を練ってある。リスク分析は問題無い。動画公開に伴う懸念事項は互いに共有し、対処しよう。」

 しかして彼らが選択した「意外な結末」は、『ザ・スクエア』の中で、少女が子猫とともに爆発死して、次の文言が映し出される。
「どれだけ非人間的な行為が行われたら、あなたの人間性に届くのか?」

 動画は展示作品というより、美術館アカウントのYouTubeにアップロードされる形で、公開数時間で数十万回アクセスを誇り、うまく炎上し、記者会見が行われ、チーフキュレーターは美術館重役に詰められることになる。

「今こそ胸を張って立ち上がるチャンスじゃないのか?我々美術館は規制を恐れずに枠を超えるべきだ。あらゆるタブーを打ち破って、世に問いかけなければ。自由は決して侵してはならないものだ、それが信念だ。自由を守るため、立ち向かうよ、とことんね。」

 それでも「ベビー用品の企業はうちに寄付をするかしら?」と詰められ、チーフからは辞任に追い込まれていく。このチーフキュレーターはこの企画の仕事と同時に、私生活で社会的プライドにかかわる問題が起きて焦っており、その収拾で頭がいっぱいだったため、企画にはまともに取り組んでいなかった。その一方で上のようなスピーチもスラスラ出てくるので、彼の普段の仕事ぶりをも想像させる。


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 「アート関連の理解不能な文章」をしなくなる解決策としては、ミュージアムやジャーナリスト、キュレーターとアーティストも、日頃様々な専門の研究者と付き合いを持つようにして、教えを伺ったり概要を知るための入門書の良書を紹介してもらうといったことしか、私には思いつかない。すると当然、筆と口がどんどん重くなる。言葉少なになる。そこからスタートするしかない。


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余談だが、映画の中盤でショッキングなアートパフォーマンスが行われる。かつてのモダンアートにおける近代志向と野蛮さへの趣向という矛盾を、現代の「リベラリズム」に置き換え。実際には行えない、映画の中でしかできない、悪夢の「アート無罪」が展開される。機会があれば観てください。