蠅の女王

小倉涌 画家 美術家 アーティスト 歴史画

個展をします。『マッカーサーの子供たち -八月革命-』

『TOKYO P.X.』 油彩とテンペラの混合技法 F100号(1621×1303mm)


 えーーっと、2年ぶりに、東京での個展を開催することになりました。観に来て下さい!
 ギャラリーは、unseal contemporaryさんで、10月5日(金)〜 10月27日(土)まで開催致します。(日本橋馬喰町のレントゲンヴェルケさんhttp://roentgenwerke.com/のギャラリーにてスペースシェア)

 開廊日は、火曜〜土曜で、時間は午後1時〜午後8時です。(日月休み)
 初日の10月5日はオープニングがあります。
 前回のGALLRY b. TOKYOさんでの個展の時に引き続き、敗戦後のGHQ占領下日本の世界を描きました。

個展ステートメント

歴史画

 かつて「歴史画」をその頂点にした「ジャンル」が美術においては存在していた。やがて第2次大戦以降に徐々に美術のジャンルというものは廃れてゆき、コンテンポラリー・アートでの様々な表現が成立するようになってきた。そんな中で、現代史の「歴史画」をすることで、私はジャンルをまた持ち込むことになる。こうした事がアートにおいてどういう意味や意義を今後出現することになるのか、未だ私もよく分かっていない。

 私は、幼少期、親によくヨーロッパの美術館展に連れて行ってもらって、古典絵画に対する親しみをもってきた。そして独学で2006年からテンペラ油彩の混合によるオーソドックスな画法を学んだ。

 こうした技法の問題に加え、私は以前から政治思想史、社会学、法社会学,法哲学といった分野に関心を持っており、本を読んだりレクチャーに通ったりしてきたが、その興味の方向性と絵画の技法とが併さったところに、「歴史画」というものがあったのだった。


八月革命とマッカーサー

 今回、マッカーサーと昭和天皇らを、私はいたいけな美少年の姿で表している。この子らは、市民の熱狂と祈りとを、小さな体に一身に背負っている…。

 かつて占領時代、マッカーサー宛に推定約50万通の手紙が日本人から送られたという。実に当時の人口の130人に1人が手紙を送った計算となる。その多数がマッカーサーに好意的であり、神格化した肖像画を描いて贈った者も少なくなかったという。そうした、日本人の祈りの欲望の対象としての天皇とマッカーサーの像を、現代風の・現代の日本人が欲望する、美少年の姿に表現した。そして、祈りや熱狂の裏腹に「忘却」というものがあるのだ。少女・美少年像は、祈りやあるいは天皇主義において見られる、自らの欠損を埋める「少女趣味」によるものである。


そして私は昭和テイストに頼らず、ノスタルジーによらない表現を目指した。


 八月革命とは、憲法学者・宮沢俊義や政治学者・丸山眞男らの学説で、ポツダム宣言受託により新憲法では、明治憲法での「根本規範」が改変された事で、「法的には革命と解すべき」とするものである。


 今回、戦後日本の「占領統治」をより前面にした作品を目指した。

作品についてのよもやま

 少年マッカーサーのキャライメージは、実は前回展でもそうだったんですが、デヴィッド・ボウイですw デヴィッド・ボウイの70年代の曲で『Ziggy Stardust』『Heroes』『Starman』というのがありまして、これらの歌詞からインスピレーションを受けております。



 異星や異世界から降りたった英雄、といったイメージです。

 
 戦後直後の日本のをテーマにしてますが、私のポリシーとして、ノスタルジックなモチーフには頼って表現はしない、と決めております。まあ『TOKYO P.X.』では、古い型の路面電車と信号機を出しておりますが、全体の印象としては決して「昭和」でない、現代を感じさせるようにしようとしてきました。
 また今後歴史画というのをやる上で、再現的にはやらない、ということも自分のポリシーとしています。

 
 八月革命というのをタイトルに冠してますが、これは敗戦と同時にあった一般の市民には察知されていない究極の政治的法的フィクションだと思うのですが*1、そのフィクションで、昨日まで戦っていた相手国からの占領統治を受けたという日本人のトラウマ的な経験を描こうとしました。


 他の作品でも、当時の記録映画や報道写真から色々とインスピレーション受けて描きました。


 観に来て下さいね!!何日まで東京に居られるか未定ですが、初日は確実におりますです。
 よろしくお願いします。

*1:http://togetter.com/li/85862 宮沢俊義の八月革命説ポイント
 1)まず、明治憲法改正が認められる趣旨は、明治憲法第73条にあったとしている。「国体の大綱は万世に亘り永遠恒久にして移動すべからざるといへども、政制の節目は世運とともに時宜を斟酌して之を変通するは亦やむべからざるの必要たらずむばあらず」 2)日本国憲法は、実際上の便宜で、明治憲法73条による改正という手続きをとることで、明治憲法との形式的な継続性を保持したもので、その措置は適切であった。つまり、明治憲法がただちに廃止されたわけではない。 3)「明治憲法の国体の本義に関する規定(憲法第1条など)は改正の対象とはなり得ぬことはいふまでもない」として、改正権の発動には憲法の基本原則に基づく限界が存すると解していた。 4)明治憲法の原則である天皇主権主義と原理的に対立する国民主権主義を定める事は法的に不可能。ポツダム宣言「日本国の最終的の政治形態は……日本国民の自由に表明する意思により決定せられるべきもの」の受託により、国民主権主義への転換、即ち法的意味での「革命」が既に成立していたと解すべき