蠅の女王

小倉涌 画家 美術家 アーティスト 歴史画

個展『二月革命』を終えて -その1

小倉涌展 Yow Ogura LOWER AKIHABARA.|Exhibition 2018 展覧会情報|
小倉涌 歴史画シリーズ第二弾 個展『二月革命
LOWER AKIHABARA.
2018年9月22日〜10月6日

 個展を終えて早1ヶ月と少し経ってしまいましたが、この間、クラウドファンドのお返し品の発送作業があったり、事務的な用事があったり、色々とタスクがありまして、作品サイトへの作品画像のアップも一昨日やっと済んだというあんばい。次回のシリーズの話をあちこちでしてきたので、個展終えてすぐ、協力してくださる方と会って話したりメールのやり取りをしたりということも。作品サイトへの更新、ステートメント等の英文版はもう、日程がアレなので翻訳家に依頼して作ってもらいました。今回の記事では、重複になりますが、作品サイトやポートフォリオに出したステートメントを掲載していきます。で、次回、他の作家さんの参考になればということで、クラウドファンドを利用してどうだったか経験談を書こうかと思っております。

 全体の総括としては、絵画という体裁でこれだけやろうとすればやれることをキッチリ示せて、成功したと思います。個展前にグリーンバーグ批判書いてみたり、藤田嗣治戦争画について調べてみたことも、今後も歴史画やっていく上でやっておいて良かったなと。

二月革命』シリーズ全体のステートメント

久々の個展ではしゃぐ作者
・・・・・・・・・
 構想段階で、ソヴィエト政治史の第一人者・下斗米伸夫の本に先ずあたっていたが、2013年頃からロシア正教の異端である「古儀式派(分離派とも)」とソヴィエト初期の関わりについて、氏は着目して著作を出していた。それを読むにつれ、子供の頃から親しんできたロシアの近代絵画、ドストエフスキーといった芸術のテーマの根底に、正教会と古儀式派の対立の歴史や、古儀式派のネットワークの存在が描かれているものが少なくないことを知るようになった。「宗教は阿片」という言葉に代表されるように、マルクス主義やソヴィエト評議会は無神論であるとのイメージがあるが、革命前夜から初期には古儀式派のネットワークが活動を支え、影響を与えていたことを下斗米は文書や議事録の存在から示している。現在ロシア政府は正教会に親和的で、宗教と革命政治の関連に着目することで、現代の混乱状況も作品テーマの射程に入れられると考えた。
 かつての宗教ネットワークとロシア革命の関係は、今後、日本の各分野でも注目が高まるだろうと考えられる。

・・・・・・・・・


図説 ソ連の歴史 (ふくろうの本/世界の歴史)

図説 ソ連の歴史 (ふくろうの本/世界の歴史)

神と革命: ロシア革命の知られざる真実 (筑摩選書)

神と革命: ロシア革命の知られざる真実 (筑摩選書)

 構想練るのに、日本語の文章だけ探してたんですが今更ながらそれが非常に悪かった笑。というのは、ロシア正教やロシアメシアニズム、汎スラヴ主義についての書籍はがほとんど無いようで、本探すだけで随分時間をロスした感。こんなに馴染みも無いのに今回のテーマで宗教の部分に焦点を当てるかどうか、調べつつ随分長いこと迷いました。とりあえず縛りとして、マルクスレーニンなどのアイコンは使わない、赤旗は使わない、といった分かりやすい表象を排除することを自分に課してまして、こういう楽なことをするとオリエンタリズムに流れかねないという考えからなのですが。で、なんでテーマを二月革命にしたかというと、前回のマッカーサーシリーズが八月革命だったから、という人との会話上のただの冗談から始まったこの企画。ロシアクラスタでもないし、ソヴィエト史に詳しいわけでもなく、しかし帝政末期ロシアの近代絵画については、子供の頃から美術館に連れられ観て感銘受けてきたし、またエイゼンシュテインの映画は美大生の基礎教養でもありまして、近代ロシアの芸術を取っ掛かりにすることにしました。宗教的側面はですね、一応正教についての本何冊かと、メシアニズムに関する本、下斗米さんの本は読んだけど、あとはもう、見切り発車ですはい。読んでも読んでもキリが無く「よく分からない」としか(ぉぃ

ロシア思想史―メシアニズムの系譜

ロシア思想史―メシアニズムの系譜

『皆殺しの天使』

『皆殺しの天使』2015年 F30号 パネルにキャンバス、テンペラと油彩の混合技法

・・・・・・・・

 ストリートの悪童たちが黙示録の天使となって、新たな政体の始まりを告げている。暴力と騒乱の時代の到来である。
 背景のイコンは、ロシアの画僧アンドレイ・ルブリョフが描いたものをモチーフにした。
・・・・・・・・・
 

 この作品をシリーズ全体の導入の作品と位置づけ。天使の足元にはニガヨモギ。黙示録で「ニガヨモギ」としたのはどうやら誤訳だったようですが、ま、描く前にそれは知ってたけど、とりあえず登場させることに。モチーフにするためにニガヨモギは輸入の種を買いましてね、家でせっせと育てたもんですよ。



 こうしてこの作品は、アブサンの思い出に回収されていくのだった…

モダニストの船』

モダニストの船』2018年 F100号 パネルにキャンバス、テンペラと油彩の混合技法

・・・・・・・・・
 1922年8月から9月、レーニンは大学の人文学者など、大量の知識人を国外追放するという粛清を行った。これはのちに人々に「哲学の船」と称され、現在もヨーロッパでは言論の自由などに対する抑圧の問題に際しては「哲学の船か!」と反論するそうである。この作品では、ヨーロッパツアー中に革命が起きてそのまま母国外に流れることになったバレエリュスと、ヨーロッパに渡ってキャバレーを開いたロシア移民を題材に描いている。自由主義の芸術家たちを乗せた船、とも考える。それを「モダニストの船」としたのは、ここで描かれた『春の祭典』がまさにその典型だが、当時のモダニズムアートがModernという先進性を志向すると同時に、野蛮さへの回帰(による解放)という相反したテーマを好み、享楽的であればこそ自由と謳う。

・・・・・・・・・

 ここで描いたのは、ニジンスキー振り付けによる前衛バレエの先駆けである『春の祭典』ですね。マリインスキー・バレエ団の舞台DVDを参考にしました。

 2009年かな、BBCが製作したドラマで、1913年『春の祭典』初演時にいかに客席から野次られたかを描いた『Riot At The Rite』というのがありまして、こちらも観ました。

Rite of Spring. THE RIOTOUS PREMIERE! (from the film "Riot at the Rite" part-2)
 まあニジンスキーといえば、山岸涼子さんが昔漫画作品を描いており、私は少女時代にそれで学んでいたんですよね。 春の祭典発表当時は、ディアギレフの伝記『ディアギレフ―― 芸術に捧げた生涯』によると、舞台照明で上からのスポットライトを導入した劇場が現れだした頃で、一方昔ながらの下からの舞台照明のみの劇場もまだ残っていたそうで、ドガの踊り子シリーズを想起してもらうと良いかと。
f:id:YOW:20181110184738j:plain
 なので、この作品も、下からの照明があたっている状況に描いてます。
 粛清事件としての「哲学の舟」は大学教員や人文学者といったインテリゲンチャーが対象ということだけど、それに含めて良いのか、哲学の舟の少し前にカンディンスキーなどの芸術家が国外亡命してますね。ディアギレフらバレエリュスの場合は、ヨーロッパ公演で回ってる間に革命が起きて、帰国しそびれた、という感じだったようです。つまり、実力行使で国を追放されたというのではない感じ。

『阿呆女の舟』

「阿呆女の舟』2018年、F100号 パネルにキャンバス、テンペラと油彩の混合技法
・・・・・・・・・
 西洋の寓意画で「愚者の舟」あるいは「阿呆舟」という題材があり、古くから様々な画家によって描かれてきたが、阿呆女の舟もその亜種の一つで、そもそもは享楽的な女性を戒めるような題材であるが、ここでは帝位を追われて最後は銃殺されてしまったロマノフのアレクサンドラ皇后と皇女たち(女子の格好で育てられた皇太子を含む)と、トルストイの、激しい恋よりも信仰と博愛による幸福を描いた小説『アンナ・カレーニナ』のヒロインが乗っている。舟はケシ畑に浮かんでいて、アレクサンドラのカルトへの没入がロマノフ王朝の没落を招く要因の一つだったことを表す。皇女たちは亡命先を求め、電話交換機に向かってる。彼女らの頭上で、各国の旅券スタンプがアウレオラとして輝いている。第三インターナショナル記念塔が鳥籠のように彼女らを覆っている。
 トルストイは生前から宗教観でも人々に影響を与えていて、理想的なコミュニティを目指す「トルストイ主義」として知られていた。トルストイ主義はロシア革命初期は多くの活動家にも受け入れられていたのと、のちにガンジーにも影響を与え、非暴力主義の抵抗運動へと至った。そこでこの作品でのアンナ・カレーニナは、南アジア系の人物として描いた。

・・・・・・・・・

 トルストイ主義というのも、それが理想としたのが聖フランチェスコという西洋美術史上でも人気のある聖人、というとっかかりがあったので。
 ケシというか園芸種のポピーは、種から育てたけど、日本の温暖で雨の多い気候には馴染まないらしく、高原とかでないと難しいっぽいです。外来種の野生はよく生えてるけど、鉢に移植してもすぐ萎れて、移植は出来ないみたいです。結局、造花を買ったのと、写真資料で描き上げました。

『ODESSA』

『ODESSA』2018年 320cm×130.3cm(F100号×2)、パネルにキャンバス、テンペラと油彩の混合技法

・・・・・・・・・
 エイゼンシュテインの映画『戦艦ポチョムキン』で描かれたオデッサ階段の虐殺は、実際には史実ではない。しかし2014年春、ウクライナ市民の間で親ロシア派と反ロシア派・ウクライナナショナリストの市民間で凄惨な内紛が起こった場所がまた、オデッサだった。私は、ちょうど二月革命シリーズを構想していた最中でそのニュースを追っていた。この絵では、映画と同じように人々が政治の実力行使から逃れるようでもあり、略奪も行われている。階段の先には戦艦ポチョムキンが主砲をこちらへ向けつつ控えているが、艦上は「動物農場」になっている。大群のネズミは感染のメタファーである。
・・・・・・・・・


  オデッサ階段落ちのオマージュ作品というと欧米では割によくある、らしい、とどなたかのつぶやきを目にして、大作で描く時は、これはまんまやるのでは絶対ダメだな、と。私は映画『アンタッチャブル』くらいしか思いつかなかったりしたけど。乳母車の代わりに、子供の時に日本でのトレチャコフ美術館展で小さい秀作だったけど、観て感銘を受けた『モロゾーワフ人の逮捕』のオマージュにしました。実際は幅5mくらいある大作。
[:500]
 これ、なぜ子供の時に感銘したかというと、思想信条の違いで、逮捕され投獄され、処刑される世界の恐ろしさというのをこの時の美術展で教えられたからです。ほか、レーピンの『革命家の逮捕』『ボルガの舟曳きの農奴』などが来てました。

 そして、ねずみさん。描いたことないものを描く時は色々心配性になるのですが、当初、ペット用のねずみを飼った方が良いかどうか、かなり真剣に考えてたのですが、留守にしてる間世話は任せられるかなどの問題で、実現せず。まあ、馬といった大型動物ではいざ知らず、こうした小動物は資料見てるだけでなんとかなるもんだなあと学習しました。

 で、この作品では階段はエスカレーターに。これは9年前、同人誌『筑波批評』さんの表紙を描いた時に「エスカレーターで」との注文があったのを思い起こして、エスカレーターにするか石畳にするか、小品で試作的にやってみまして、縞が集中線の効果になることに気がつき、大作ではエスカレーターの方を起用。このオデッサ階段は、集中線がより収束していくように見せるため、上面図では扇型になってます。
yow.hatenadiary.jp

『ODESSA』2013年、F6号 パネルにキャンバス、テンペラと油彩の混合技法
『ODESSA』2013年、F4号 パネルにキャンバス、テンペラと油彩の混合技法

『イコン』

『イコン』2015年 P30号、パネルにキャンバス、テンペラと油彩の混合技法
・・・・・・・・・
 幼児キリストは荒野で隠士姿のマグダラのマリアの膝上に乗っている。トルスト派が聖フランチェスコ派のような素朴な生活、あるいは宗教的アナキズムを旨とするコミュニティを理想としたことに基づいてる。足元には説法を聴きに狼や小鳥が集まっている。背景はカジミール・マレーヴィチの「0.10」のインスタレーション、これはロシアの各家庭にあるイコンコーナーを模した作品だった。

・・・・・・・・・

 足元に集まる小鳥や狼は、聖フランチェスコを描いた『小鳥への説法』といった宗教画のお約束事からきてます。
 このように、今回の二月革命シリーズでは、自分が子供時代〜美術科高校時代〜美大と、ずっと慣れ親しんできた西洋美術史の作品群がかなり大きなとっかかりになってまして、次回、性風俗と法の規制というのを大上段のテーマに据えてやっていくことにしてますが、二月革命とはまた違う方向を模索してみよう、とも思ってます。


 それでは、今日はこれにて。

「技巧は技巧を隠す」か?絵画のイリュージョニズムとは何か? -展覧会の感想をTwilogから発掘するシリーズ(五)

 前々回、グリーンバーグやアーサー.C.ダントーの『芸術の終焉』を読んでの記事を書いたんですが、これはその追補みたいなものです。
yow.hatenadiary.jp
「技巧は技巧を隠す」とは、元は古代ローマの名言だそうで、どういう経緯の言葉なのか詳細はただいま目下大作制作中で個展が近づいてて忙しいんで、よう調べておりません(ぉぃ ひと段落したら、他の研究者の論文を探して読みたいと思いますが。
 先月、東京国立新美術館での「ルーブルの顔」展と、兵庫県立美術館でのプラド美術館展を回りまして、とりあえず、今回は「絵画のイリュージョン性」について再び、実際の観察で検証ということで書きました。前々回の時はまだ画家の記憶で書いてましたから。

ルーブル美術館展、プラド美術館展 (2018年6月)

www.ntv.co.jp
f:id:YOW:20180715010729j:plain:w300
www.artm.pref.hyogo.jp
f:id:YOW:20180715010655j:plain:w300

YOW's icon

今日予定の変更があって時間が空くからこれ観たけど、今回は予想通り、わたし的にはそれほど…。まあ、よく運んで持って来たなあというよな、大作の大理石像もあったけどね。ルーブルの所蔵品展というのは定期的にあるが、自分の記憶では、1994年?のルーブル展のラインナップが、一番凄かった
0:33 - 2018年6月29日

YOW's icon

美術展回るのがめちゃ久しぶりではある。早く家帰って制作したい。ルーブルの所蔵絵画観ても「私の絵の方が良いやん」としか思わなくて、チャクラが開かない。だがきちんと観るのも勉強なんや。
0:56 - 2018年6月29日

生意気盛りですいません


YOW's icon

グリーンバーグにまだこだわってるから、ルーブルとプラド、一緒に感想ツイートする
14:24 - 2018年6月30日

YOW's icon

先ずルーブル美術館の顔展:出品内容は彫刻半分絵画半分くらいか。ここではとりあえず絵画中心に。まずベラスケスの工房制作によるスペイン王妃肖像。1652年、高さ1.8m程。ベラスケスは宮廷画家だが、細かい再現的描写はせず、一気に素早く描き上げてる。遠目で見らるのを想定してるのもある
19:50 - 2018年6月30日

f:id:YOW:20180715013231j:plain:w500

YOW's icon

ルーブル美術館の顔展:グリーンバーグ等が後に具象絵画批判で引用した「技巧は技巧を隠す」、ここでは顔の描写に関しては大体そうだが、髪飾り、スカート裾の銀糸のモール飾りなど、同じ太さの筆で絵の具をポンポンポンと一度乗せたタッチで、「プリマ描き」と言って、筆跡を生かした描かれ方をしてる
19:52 - 2018年6月30日

f:id:YOW:20180715014715j:plain
f:id:YOW:20180715014729j:plain
 ここでは、省力的な描き込みで済ませてある。それでとりあえずパッと仕上げたのだから、これもなかなかな職人芸と言えるだろう。たぶん、クライアントに急がされたのかも。この肖像に関しては、ベラスケス作品としてはあまり見応えの無いものだった。


YOW's icon

美術において「技巧は技巧を隠す」というのは、古代ローマの名言だそうで、グリーンバーグ等はこれを引き合いにして、おそらくモダンアートの戦略として、具象絵画を批判した。「絵画のイリュージョン」と言ってたが、
「技巧は技巧を隠す」「絵画のイリュージョン」という時にグリーンバーグ等が念頭してるのは、ベラスケスやレンブラント、エルグレコなどの画家ではなく、もっと後世の新古典派であるアングルやダヴィッド、ジェラールだろう
19:59 - 2018年6月30日 20:04 - 2018年6月30日

f:id:YOW:20180715015819j:plain:w300
 ジェラールの『アモールとプシュケー』は今回出品されてなかったが。何度か来日してる作品ではある。


YOW's icon

絵画批評を展開しつつ、これら18世紀19世紀の一部の絵画しか実際に観てないんじゃないかという問題。憶測だけど「絵画のイリュージョニズム」を発想したきっかけは、古典でなく、シュールレアリズムだったんじゃないかと。
と、先月書いたりした
20:26 - 2018年6月30日


YOW's icon

「絵画のイリュージョニズム」という時、念頭されてるのは、非常に限られた絵画様式をイメージしてるのみだろう、という話。もちろん、日本など東アジアの絵画はその眼中に入っていない。
20:30 - 2018年6月30日

YOW's icon

批評するのに鑑賞経験を積んでないのはどうなのって、四方八方に言いたいことだけど、
まあ、モダンアートの戦略としてはまぎれもなく大大成功おさめてるので、ほんと良かったね。
20:40 - 2018年6月30日

 この辺のことは前々回にも既に書いた。あくまでモダンアートの戦略として遡及的に「絵画のナラティブ」という概念をひねり出したのだ、というのが、私の推理。戦略としては強引に勝ったものの、ものいいがつくだろうという。恐らく多くの研究者が批判や分析の論文書いてるだろうし、制作が一段落したらまた論文探してみることに。


YOW's icon

ルーブルの顔展とプラド展の続きを。改めて「技巧は技巧を隠す」か問題を中心に。
兵庫県立美プラド展でのベラスケスによるスペイン王太子。出入り口の上に掛ける絵だったのもあり、描写がかなりザックリした省略されてる印象。馬の塗り込みも背景も「え、これで宮廷に納品出来たのか」と思ってしまう
20:01 - 2018年7月2日

f:id:YOW:20180715022737j:plain:w500
 この王太子の像はまさにグリーンバーグらが言うところの「ただの壁の飾りとしての絵」であるけど、イリュージョンというよりは、かなり省力的に描いてあって、馬の腹も、私ならもっと塗り込まないとという気持ちが湧いてくる。背景もずいぶん適当な感じがあって、ベラスケスもこういう仕事してたんだなあという印象。宮廷画家は大変ですね。


YOW's icon

プラド展:顔の描き方もピンぼけしたようにアッサリしている。そこは小磯良平の手法がしきりに想起された。遠目で見るだけの絵画ということで受注したとは思う。画家も長軸を付けた筆で、キャンバスに近寄らず描いたはず。今の市場での好みだと、具体的に描写されてるのが好まれる傾向にあるから、
20:09 - 2018年7月2日

f:id:YOW:20180715123611j:plain
 最近のアート市場の好みだと、まさに絵画は「技巧は技巧を隠す」という、筆のタッチを消して具体的描写で平滑に仕上げられてるのが好まれるので、正直言えば、私の粗目の画布にタッチを生かす書き方もあまり気に入られない傾向があるのね。この宮廷画家の仕事は、確実にはねられるなあと笑
 

YOW's icon

プラド展:このフェリペ4世像にしても「これだと突き返されるなw」とすぐ思ってしまう。私のただの推測だが、王宮か何かを建造するにあたり、制作を急がせたというのもあるかもしれない。この感想、実物見ないと、画像では分かりにくいけどね。樹の描き方も「えらい荒いなあw」という感じであった
20:16 - 2018年7月2日

f:id:YOW:20180715123930j:plain:w400
 この時の「えらい荒いなあ」という感覚は、今のマーケットの趣味からしてというより、画家として「えっ宮廷で飾るのにこれで良かったのか」「これでは印象派のスケッチだな(悪い意味で)」というものである。

YOW's icon

プラド展:ベラスケスが、顔の描写で筆致を活かした少しピンボケ気味にするのは、彼のテクニックでもあり、ラスメニーナスもそうだし、今回出ていたこの道化の少年もそう。ここではかなりピンボケ感出してあり、まるで「プロマイドでのソフトフォーカスによる優美さ」の先駆け的なセンスを感じる。
20:39 - 2018年7月2日

f:id:YOW:20180715124730j:plain:w400
 この作品もわりにカジュアルに描かれてはいるが、上の3点とはまた違うのは、なおざり感があまり感じなかったのだ。
 ベラスケスは、長軸を筆につけて、画面から離れて描く人で、それによって具体性をぼかした描写や、花びらが揺らめくような柔らかなタッチでの描写を可能にした画家で、今回来た作品よりも良い作品がいっぱいあるからね。名誉のために申しますが。ハハハ。以前、ニューヨークメトロポリタンで観た王女の小さな肖像画(a)なんか、素晴らしかったし、ウィーン美術史美術館展で観た王女や王子の肖像画も良かった。残念ながら、ラスメニーナスは未だ観に行けていない。
(a)f:id:YOW:20180715125614j:plain


YOW's icon

プラド展:ベラスケスのこれらの作品は1630〜1650年代で、その前、1500年代の肖像絵画で、衣服の刺繍やタッセルや鎖や宝石といった装飾を具体的に描写する様式を、これまでにも何点か観てきた。これはフェリペ2世の娘と道化の像(1585~88 Sanchez Coello)
21:00 - 2018年7月2日

f:id:YOW:20180715130409j:plain:w400
 ↑上の画像をクリックすると、プラド美術館が公開しているのを引用で頂いたもっと大きな画像が出ます。が、大きい画像で見ても次に言わんとしてることがちょっと分かりにくいかも。
YOW's icon

プラド展:これもこうして写真でみると超絶技巧的に思えるかもしれないが、実物を観察したら「筆致を消す」事には注力はされておらず、タッチの調子は確認できる。以前ウィーン美術史美術館のこちらの肖像(1569年 シャルル9世)も、そんな感じ。具体性は高いが筆致に関しては意識が低いというか
21:06 - 2018年7月2日

f:id:YOW:20180715130906j:plain

YOW's icon

ベラスケス、ルーベンスレンブラント辺りから、うごめくような筆のタッチを生かした絵画技法が出て来たかと。これは確認をちゃんとしたわけではないからはっきりは言えない。
21:10 - 2018年7月2日

 この辺の研究論文があるかまだ探して読んでなく、何らかな研究はされてあるはずだが、今のところ自分の推測。

YOW's icon

ベラスケスらは、服飾のレースの描画も5段階で言えば2くらいの省略で描いて、具体性よりも筆の勢いを優位に考えている。さっきのフェリペ2世娘やシャルル9世像でも、描写の具体性を5段階で言えば4くらい。5までは描こうとしてない。
21:16 - 2018年7月2日

YOW's icon

訂正、ベラスケスらは5段階でほぼ1くらいの省略かも
21:18 - 2018年7月2日

YOW's icon

私は「絵画のイリュージョニズム」という批評について、疑問を呈するべく、ただ今こうしたレビューをしています
21:25 - 2018年7月2日

YOW's icon

プラド展:1550年頃に描かれたティツアーノの作品。ティツィアーノは、筆致というより絵の具の粒子感に注力して描いてるのが分かる。Wikiで大きな画像拾ったが、それでもまだはっきり分かるものではないが、肌の明暗に粒子感があって、決して滑らかには均さず、土のようなモッサリ感を残してる
21:40 - 2018年7月2日

YOW's icon

ティツィアーノ、かなり厚塗りしてますね。
21:41 - 2018年7月2日

f:id:YOW:20180715133413j:plain:w500
f:id:YOW:20180715133423j:plain
 これもかなり大きな画像は提示されてたが、それでも粒子感やタッチの問題はほとんど伝わらない。筆致を隠すというよりも、粒子のかすれを生かした塗り込み方ですね。今風で言えば粒子のノイズw この絵の主題はどうでも良い感じではあるが、技法の美しさには惹かれた。

YOW's icon

プラド展:そんな一方で、1590年〜ベラスケスと同時代の1638年の作品で、筆致を消して滑らかに均して描く絵画様式も出てる。その中で有名な作家が、スルバラン。キャプションによると、プロテスタントの偶像禁止に対抗して、コントラスト強調したカトリックの宗教画画風が要請されたと。
21:47 - 2018年7月2日

f:id:YOW:20180715134805j:plain
 こうした、ハイコントラストで筆致を消した絵画様式は Tenebrism というようだが、同じ Tenebrism でも、私はスルバランよりラトゥールの方が好きさ。

YOW's icon

コントラスト強調で、まさに「技巧は技巧を隠す」ような、当時の人は「人間の手で描かれたのか」と思ったのかもしれない。
21:50 - 2018年7月2日

YOW's icon

ルーブル展:ぐっと時代が下がり1700年代になると、筆致が消えてる平滑で具体性も4〜5くらいの作品が見られた。ジャン=バティスト・グルーズ、ヴィジェ・ルブラン。
ヴィジェ・ルブランは、今まで観た作品にハズレが無いというか「ピントを何処に合わせるか」という先駆的なセンスがある画家で
斜め向いてたら手前の瞳か頬骨辺りでピントが合って、あとはソフトフォーカスでボケて描かれてるという、ほんとにプロマイドの先駆けのような感性、しかも非常に技巧も高い。今回の作品は、クッションの手前のタッセルにもピントが来てて、ちゃんと距離感を考えてるんだよな。
21:58 - 2018年7月2日
22:02 - 2018年7月2日

f:id:YOW:20180715135300j:plain:w500
 この人はセンスも技術もずば抜けた画家ですね。チャラいけど。

YOW's icon

ルーブル展:まさに「技巧は技巧を隠す」の人が、ドミニク・アングル。これはルイ・フィリップの長男の像。背景の壁画の模様まで手抜かりなく描画の具体性は5。これは非常に構成も良い作品で、別に平滑だから・細かいからというのではなく、本当に腕の良いセンスの高い画家だなあと改めて思った
22:07 - 2018年7月2日

f:id:YOW:20180715135622j:plain
 色の構成も人物描写も一片の抜かりもないなという感じであった。
YOW's icon

グリーンバーグが注目してたのは、グルーズ、アングルあたりでしょうね。
というお話でした!もうこの辺でお開き!制作に戻っっる
22:09 - 2018年7月2日

とりあえず今回は以上です、他にも色々見所はあったのだけど、制作に戻ります汗
f:id:YOW:20180715142324j:plain
f:id:YOW:20180715141859j:plain

個展『二月革命』9月開催 & MotionGalleryエントリーしました

f:id:YOW:20180621231811j:plain:w700

小倉涌 歴史画シリーズ第二弾 個展『二月革命
場所:LOWER AKIHABARA. ( http://lowerakihabara.com/ )
〒101-0031 東京都千代田区東神田1-11-7 東神田M.Kビル1F
日程:2018年9月22日〜10月6日
開廊時間:AM.11:00〜PM.18:30
休廊日:9/23, 24, 30日です。ご注意下さい。
私は、9/22, 10/5, 10/6に在廊しております。
motion-gallery.net

テーマ構想は軽口で始まり禁則で締め上げ

 個展『二月革命やるやる詐欺も幾星霜、前回2012年『マッカーサーの子供たち -八月革命』と個展タイトルに掲げたのを機に、「じゃあ次回は二月革命ですかね〜www」と軽口からスタートさせたこのテーマ!!!
 そうです、大上段のアイディアというのはいつも軽口から始まってしまうものなのです。マッカーサーシリーズだってそうでした。

yow.hatenadiary.jp
 2009年の冬に大阪のNAMURAであるアートイベントに行った。イベント後の懇親会で、あるキュレーターの方に挨拶をした際に「私、今度マッカーサーのテーマで作品展やりたいと思ってるんですよ」と、これまた単なるハッタリでポロッと口に出して、自分でも内心驚いていた。
 言ってみてから「ああ、そうか、自分がやりたいのはこれだ」と思い至った。その時のハッタリも、やはり何か直感が降りたから、というわけだ。
 その懇親会の前、イベントでキュレーターの方が「多文化主義」という言葉を頻繁に使っていて、多文化主義について政治哲学の洞察が無い印象だったのだが、そのことで挑戦的な質問をしてみた。会場で目立ちたいが為に。それによる高揚感が、更に懇親会でのハッタリに繋がったのだったと思う。

 「革命続きで、革命がお好きなんですか?」と怪訝そうにされたこともあったが、いえ、革命が好きなんじゃなくて、政治思想史の本読んだり勉強するのが好きなんです(マジレス)
 さて、8年前の歴史画シリーズ第1弾の時もそうだったが、歴史画シリーズをやるにあたり、私はまず「禁則」を設定することから入った。今回、ロシア革命の名を冠してはいるが、


  • プロパガンダ的な表現はせず、抽象性の高さを保たなくてはならない(前回シリーズでも「もっと、show the flagだよ、でないと観てる者が気持ちの持って行きようがないから」といった「助言」が何人かからされたが、そういった表現からは距離をとる方針)
  • 今、歴史画をやるには、過去の歴史画に対し何らかな批評性がなくてはならないため、いわゆる共産趣味的な表現とは一線を画さなくてはならない(これは上の禁止事項と重なる)
  • ノスタルジーエスニックなアピールには依らない表現を目指さなくてはならない(つまりオリエンタリズムになるのを注意して避けなくてはならない)
  •  歴史画の歴史的問題については以下を参照に。  yow.hatenadiary.jp

ロシアの宗教の歴史的背景と歴史的美術

神と革命: ロシア革命の知られざる真実 (筑摩選書)

神と革命: ロシア革命の知られざる真実 (筑摩選書)

 ロシア革命ロシア革命と言っても、広うござんす。何を中心に据えるかの決め手になったのはやはり下斗米伸夫さんの本でしたが、ソビエトの組織化で、ロシア正教に対する異端宗教の地下ネットワークが母体となっていたという記述を読み、その異端は「古儀式派」または「分離派」などと称されるのですが、思えば子供の時、冷戦下ですがよく東側の主だった美術館展が開催されていてそのたびに親に連れて行ってもらっていました。テーマを探ってるうち、子供の時から繰り返し目録でも眺めてきたロシアの有名絵画のいくつかが、この分離派の弾圧を描いた内容だったと改めて思いを致すことになったわけです。何よりも「内心や思想の違いによって、逮捕され投獄されうる」政治体制の恐ろしさというのを、小学生の私に初めて教えてくれたのがこれらの絵画であったため、それだけで私には非常に感慨深いものがあります。

『モロゾーヴァ夫人の逮捕』ワシーリー・スーリコフ、1887年、参照:https://jp.rbth.com/articles/2012/11/26/40155
f:id:YOW:20180621203051j:plain
『皇女ソフィアの幽閉』イリヤ・レーピン、1879年
f:id:YOW:20180621204537j:plain:w450
 歴史的絵画の題材でもあったというのは、美術家にとっては大きな足がかりです。ロシア正教、さらには古儀式派という、まったく馴染みの無かった世界をテーマにしてしまうにはかなり勇気を要したため、関連書籍ひたすら読んでるだけで月日が経ってしまったところもありました。宗教観等への理解に関して自信が出来たわけではないのですが、他方で、トルストイ主義という19世紀末から20世紀にかけて各国にも広がったキリスト教社会主義のムーブメントがあったことも合わせて取り入れることにし、なんとか踏ん切りをつけた次第。さらに今回のシリーズでは、コミュニズムというよりも(正確に言えば社会主義革命なんですが)ソビエト政府から追われた側に着目しています。
f:id:YOW:20180606221551j:plain:w300

MotionGallryにエントリー。

motion-gallery.net

 最初、企業の助成申請を考えてたんですが、個展開催日程がなかなか決められずにいたら機会を逸してしまい、宣伝を兼ねてクラウドファンディングに初めてエントリーすることにしました。
motion-gallery.net
 審査もしっかりしているので、こちらに決めました。
 6月22日金曜日午前0時からスタートすることに。ここのシステムは、ふるさと納税みたいに、ご寄付の支援に対しお返し品をそれぞれにお届けすることになってます。そのお返し品を用意するのに、なかなか一工夫要りました。お返し品について、こちらの動画でも説明を行っています。

お返し品その1、精巧な複製品

以前お世話になった株式会社プロスキャンさんという、超精巧な印刷が出来る会社にお願いして、A4大の複製を下記の2種類作っていただくことにしました。作者も困ってしまうほど、再現性の高い印刷です。
yow.hatenadiary.jp

f:id:YOW:20180621223336p:plain

お返し品その2、クロッキー画を大量放出

 すべて一点物なので、先着順になります。
yow.hatenadiary.jp
yow.hatenadiary.jp
yow.hatenadiary.jp

お返し品その3、猫を描いたパステル画、注文制作で

 ↓サンプル作品です。モデルは、うちの麦。このお返し品を選ばれると、毛色とか品種や他の特徴、実在の猫氏の場合は写真をいただくとか、そういったやりとりをメールですることになります。

クリックするともっと大きな画像で見られます
f:id:YOW:20180621225135j:plain:w450
 猫の絵は1万円設定、猫以外の注文制作はすみません、家にモデルが猫しかいないので1万5千円に設定しました。

お返し品その4、原画数点

これ以外にも、外に出したことのない、大昔のイラストも出品することに。
yow.hatenadiary.jp
yow.hatenadiary.jp


 MotionGalleryスタッフさんからアドバイスで、記録映像というのも撮りためて、最終的に編集して、公開することになりまして。(八面六臂ですね、大学はデザイン学科ビジュアルデザインを出ていて良かったと、今回ほど思ったこともありません)
 その記録映像に、ご希望の場合はお名前を掲載してまいります。


 みなさま、なにとぞご支援のほど、よろしくお願いいたします。

歴史画はなぜ叩かれるのか

 のっけからこのタイトルだが、少なくとも20世紀半ばからこっち、具象のリアリズム手法で絵画やるとか、さらに歴史画をやるとか言うと
「今更そこになんの可能性が残っていると思ってるの?」
といった反応を受けるのは日常茶飯事で、私は機会を捉えてはこうして各方面に向けてエクスキューズを提示するのは、私のアーティスト人生においても大変意義深く大事な営みになっている。また、具象を描いて活動すること自体の前衛では無い「後衛性」に、何らかな理由が求められるようになったのも、コンセプチュアルアート以降の流れでもある。

20世紀モダンアートの戦略として規定されるイリュージョン絵画について

グリーンバーグ批評選集

グリーンバーグ批評選集

芸術の終焉のあと: 現代芸術と歴史の境界

芸術の終焉のあと: 現代芸術と歴史の境界

 個展『二月革命』開催が9月で、迫ってきて、改めてグリーンバーグや特に19世紀ロマン派の美術家を批判する論評などを選んで読んでいったのだが、

  • 21世紀からの今後に、具象で古典技法でリアリズムで歴史画絵画を描くこと
自体を、「これは今はもはやアートとは言えない」といったような、アートとして否定するほどの端的な理屈は見つからなかった。「形式主義の美術批評」から私が今後どう批判されるのかシミュレーションをしておきたかったのだが。そこで「絵画の終焉」というと、どうも、19世紀のナショナリズムの勃興の時代から20世紀の冷戦時代にかけての社会状況を背負った限定的な話になってると感じた。社会状況の違う今、グリーンバーグらの絵画批判の手法がどう現代作品に当てはめられるのか、私の知識経験不足のためかよく分からないところがある。「絵画の終焉」の言説は、西欧絵画のことを述べているのだが、例えば東アジアの絵画については眼中に入ってないのだろうが、そこは今、どう説明されるのか、気になるところだ。確かに、20世紀前半のモダンアートのメディア(樹脂油やアラビアゴムなどの媒剤や麻布キャンバス、紙といった媒体を含む言い方)のメディアたる素を前面に出した戦略を位置づけ語るときに、対照的なものとして「平滑に描かれたリアリズムの油彩」を挙げることは、大変理に適っている。
「リアリズムでイリュージョニズム的な芸術は、技巧を隠すために技巧を用いてメディアを隠してきた」と糾弾する時の、この「技巧を隠す技巧」というのは元は古代ローマの名言からの引用らしいが、形式主義の絵画批判においては、

  • 筆致は極力残さないように、盛り上げず平滑に塗って、(どう仕上げるかは、同じ油彩でも媒剤の調合や基底材の下塗りの仕方などが異なるのだが)
  • 写実的に描く油彩技法

についての言葉になっているが(ここからイリュージョニズムという言葉が出てくる)、だからそのタイプの油彩画というのに限定された話なのか。「イリュージョニズム絵画」に対する形式主義による批判に適合しない古典作品は、ざっくりとしたハッチングで描かれる版画にしろ、ベラスケスやレンブラントetc.の特徴、東アジア他の絵画など、いくらでもマッチしない事例があがってくる。20世紀のモダンアートの戦略から遡求的に、絵画の「イリュージョニズム」を位置づけているが、範囲の定まった中の話で、モダンアートの戦略を地固めするがために見える。

ベラスケス、1651-54年「王女マリア・テレサの肖像」の部分アップ、メトロポリタン美術館サイトより
f:id:YOW:20180612154203p:plain
レンブラント、1632年「オリエンタルな衣装を着た男」の部分アップ、メトロポリタン美術館サイトより
f:id:YOW:20180612140621p:plain
『さらに新たなるラオコーンに向かって』では、ロマン派以降の絵画のメディウム(ここは樹脂油や調合油のこと)の役割を抑えられるようになったとあるけど、それはロマン派ではなくて、印象派が一通り過ぎ去って以降の具象絵画(典型としてサルバドール・ダリ)の手法ではないかと疑問を持った。
ダリ、1936年:茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)


 さらに言えば、私は今回の読書で初めて気が付いたのだが、かの有名な評論『アヴァンギャルドキッチュ』の一番最後に、グリーンバーグによる追記があって、

私は愕然としているのだが、これが印刷されてより数年後にレーピンが戦場の場面を一度も描いたことがないことを知った。彼はそのような種類の画家ではなかったのである。私は、他の誰かの絵を彼のものだと考えていたのだ。そのことは、19世紀のロシア芸術に関する私の偏狭さを示していた。(1972年)

とある。こうした勘違いからも、彼ら(敢えて複数形)は、たくさんの鑑賞経験を積むことなく印象派以前の西欧絵画というものについての漠然とした印象で批判対象に挙げてるのではないかと、私は前々から穿ってみている。『アヴァンギャルドキッチュ』でのレーピン批判を読むたび、ちゃんと実物鑑賞したわけじゃなさそうだと思ってきたが、案の定だった。リアリズムと一口に言っても、色んなタイプ、特徴、手法があるものだが、素材、まあメディウムと言ってもいいけど、に対する注意深さや過程は、彼らの存外に形式主義のモダンアートとそう違わないことかもしれない。
 それと、この形式主義の批評と、作品の、現実にあるものへの様々な考証の正誤とか観察のありようとか、そういったことは全て今後の絵画に必要なものではないと考えているから、あっさり切り捨てるのだろうか?とりあえずグリーンバーグが「文学の絵画や詩への侵食」を忌み嫌った理由は、19世紀文学のどこら辺にあるのか、目星がよく分からないでいる。フランス語の有名な古典詩を引き合いに出されてもそこにアクセス出来ないところで、「ああこれが、世に言う芸術教養の壁というやつか」と改めて思ったりする。ともかく、グリーンバーグが絵画の「不純さ」として、他のメディア(ここでは媒体やジャンルのこと)から借用した折衷主義と述べているが、その場合も、他のどんなジャンルの芸術もそうであるはずだ。純化された芸術として音楽を挙げられているが、音楽にせよ鳥の鳴き声だったり光が差す様子だったり水の流れだったり、そうした何かを模すということは行われている。
 しかし、再現つまりリアリズムというのが描法ではなく、思想や何らかな政治思想の「単に再現しようとするための絵画」を忌み嫌っていたという点では、私にとっても理解できるものではある。
 

YOW's icon

美術にぶるっ!:戦後のコーナー「実験場1950s」も見応えあって楽しかった。一番最初に、原爆の衝撃と治安維持法下の芸術家の敗北感みたいなところで切り取って見せる。それから、砂川闘争や労働組合活動といった左翼系の流れ、古代日本のルーツへの関心の高まり、日本の民俗的な再発見の流れなど
0:05 - 2013年1月15日

YOW's icon

美術にぶるっ!:特に、砂川闘争にや労組協調路線の展示は力入れてたような気はする。こういう左翼系芸術ムーブメントってもう今後はあり得ないんだなあ、というのを改めてしみじみと思う。芸術家会報の展示でも、当時のアジ文ではよくこんな内容で人を動員できたなあ、今との隔絶感が湧いてくる
0:13 - 2013年1月15日

YOW's icon

美術にぶるっ!:まさに「大きな物語があった」とはこのことだ、と実感する。ああしたアジテーターが、現在もう全く通用しないし人の動員にも役に立たない状況なのだが、このエートスwの変わり様はなんだろーとしみじみと思うなり
0:17 - 2013年1月15日

YOW's icon

情報量の違いや、何だかんだでテクノロジーの影響が大きい気もするRT @awajiya: @YOW_ わかる気がします「大きな物語」って,いまの思想文脈の用語でイメージされるような堅固で精緻なもんじゃなく,ひどく粗雑で大味なもので,だけど多くの人がそれに魅せられた.という(…
0:28 - 2013年1月15日

YOW's icon

大きな物語は終わったと言いつつ未だ傾向は全然あると思いますRT @awajiya: YOW_それはすんなりとは納得出来ないけどw 今の情報技術は少量生産少量消費に「も」向くから,「大きい」ことのメリットが相対的に減ってる.けど「大きい物語」に魅かれる性向が変わったわけじゃない
0:34 - 2013年1月15日

追記
政治的テーマ以外にグリーンバーグらが「意味過多」の絵を嫌ったもう一つの理由は、シュルレアリスムへの反発もあるかと。

ナショナリズムと芸術カテゴリーとサブカルチャー

歴史画について、以前にも何度か調べて書いてみる機会があった。
yow.hatenadiary.jp
yow.hatenadiary.jp
yow.hatenadiary.jp
私は自分の作品を構想するにあたって、過去の戦争画や歴史画を目指してるわけではない。さじ加減として、どの程度ケレン味を出すべきか(スペクタクルさ)といった手がかりにすることもある。私も、高校大学と美術史は教わってる以上に、10代の時から政治思想史の本を読むのが好きだったので、歴史画の啓蒙主義とかナショナリズムを人民に認識させる役割だとか、当時としては当然であったオリエンタリズムに対する現代の批判であったり、アカデミズムの啓蒙主義と対抗するロマン派勢とのマッチポンプ関係のダイナミズムであったり、そういった基礎知識はあるし、何よりナショナリズムと表現の問題については、昔から関心を持ってきたことだ。
 「アカデミズムの啓蒙主義と対抗するロマン派勢とのマッチポンプ関係のダイナミズム」に関しては、あまりに広範で専門的で、私はここで軽く展開する自信はもたない。
 ここで何が言いたいかというと、よく言われる、19世紀のロマン派絵画や社会主義リアリズムや現代の戦争画の類に対する批判は、ごもっともなんだけど、私はまずナショナリストではないし、オリエンタリズムとかノスタルジーとか様々な注意を予めやってるし、プロパガンダ的な表現はやらないことにしているし、その上で、物語性のある歴史画を具象表現で古典技法で描くこと自体について、批判あるとしたら何があるのだろうか、今や制作方法やメディア(媒体)の問題ではなくなったのだ。グリーンバーグらも当時そこまで想定してはいなかったろう。私は以前、絵画という「メディア」ゆえに藤田嗣治を戦争協力に至らしめた、という奇妙な批判を言われたことがある。ところが昨今では、ナショナリズムへの素朴な傾倒表現は、絵画やハイカルチャーの世界から、漫画、世界的潮流でヒップホップ、POPソングといったサブカルチャーの世界に移ったように、さまざまな迷作が散見されるようになった。ゆずやRADWIMPSの例が新しい。20世紀、映画も音楽も舞踊でも戦争協力はあったわけで、前衛芸術においてはこれは学生の時集中的に調べた対象だったが、ファシズムの文化を担った未来派という総合芸術の前衛グループが例にあるわけで、芸術のカテゴリーで何か政治的内容の方向性を規定するのは、ただの事実誤認である。

ファインアートの課題

 現代は、エンターテイメントやサブカルチャーと、ファイン・アートを端的に区別することには意味も無くなっているが、一つファイン・アートの方のみ課されているものがあると私が考えてるのは、自分の欲望等について充分に自己分析的があるかどうかという点で、エンターテイメントでの表現においては秀作であるためにはそれが必ずしも無くてはならないものでもなく、しかしファイン・アートとなると、少なくとも(戦後の、公民権運動以降の、)先進国で活動するなら、自分の欲望のありようや好悪、社会観、政治的指向について、所与とせずそれなりに分析を深めたり、関連する学説や創作物、それらの成立したプロセスについてインプットした積み重ねがあるかどうかが、少なくとも私にとっては大きな評価ポイントになっている。これは一つの例だが、あるアーティストで、よく「自分はロリコンだから」と自己規定して済ます人がいて、そのロリコンという指向、嗜好を所与のものとして単純に考えているわけだ。その一方で、現代アートの世界では往往にして、キュレーターも作家も、ステートメント等で現代思想用語を散りばめてあっても、その思想用語と書いた人の認識や制作物の技術面等がどうも釣り合っていないことがままある。情報量の多い少ないが作品の優劣ではないが、インプットしたことを取捨選択して表現に昇華するのは、技術の問題も大きい。絵画では具象でも抽象でも、ことの外、技術に則った表現力が重要な芸術カテゴリーだと思ってる。

最後におまけ・団体公募展系のこと

 かつてアカデミズムで「このモチーフやこの主題はこう描くべきだ」と規範化されていたことへの反発の意図であることは理解するが、音楽や舞踏といった他の芸術とは違って、美術ではもはやアカデミズムは世界的に廃れ、「絵画はこう描け」といった規範は存在しないのだが、未だ、20世紀モダンアートの批判の手法で自分が批判されると、妙な感じはいつもある。

芸術崇拝の思想―政教分離とヨーロッパの新しい神

芸術崇拝の思想―政教分離とヨーロッパの新しい神

『芸術崇拝の思想』では、国や自治体による栄典や顕彰制度が過去の文化を豊かに見せるだけだとの批判が展開され、それは繰り返し近代思想史なんかの本でも読んできた話であるが、現在も負の影響力が『芸術崇拝の思想』で危惧するほど大きいのかどうか、特に何か調査に沿って著者は危機を述べてるわけでもなかったりする。日本の団体公募展系のことで言えば、例えば叙勲の選抜が団体公募展系に傾いてる状況はあり、叙勲の選抜を公平にしよう、否それよりも叙勲制度を廃止して他の文化事業に予算振り分けようという政治主張もあっても良いんだけれども、活動として発展させる元となる調査が提示されない限り、なかなか優先順位は上がってこないんではないか。少なくとも、団体公募展系は今後も「我が社の会議室の装飾に」といった一定の需要はあり続けるだろうが、私は美術のアカデミズムは、音楽や舞踏の世界に比較すれば、ほぼ無いに等しいものとして考えて活動しているが、私の存外に影響力を今でも高く見積もってる人も結構いたりしたので、何らかな具体的調査がなければ何とも言えない。私の生活圏で何も感じない可能性としては、京都精華大デザイン学部という、団体系とは縁の無いところを卒業して、あとは独学でやってきたのもあるかもしれない。


f:id:YOW:20060708071126j:plain

後日さらに書いた記事
yow.hatenadiary.jp

展覧会の感想をTwilogから発掘するシリーズ(四)コンテンポラリーの映像作品から曾我蕭白まで(2013年1月-4月)

『WHAT WE SEE  夢か、現つか、幻か』展 大阪国立国際美術館 2013年1月

大阪国立国際美術館 2013年1月
http://www.nmao.go.jp/exhibition/2012/id_1207134358.html
 この時は、アートにおける「ジャンル」というのは、なかなか侮れないなあと思ったでござるの巻。

 国内外の映像作品ばかりを集めた展覧会だったのだが、今まで鑑賞した美術展で指折りの見ごたえがあって、記憶に残る良い企画だった。


現代アート展で映像作品がいくつもあると、1日ではとてもじゃないけど消化出来ない問題。

↑饒加恩作品『レム睡眠』2011年。インタビュー動画があったので貼っておく。展示ではスクリーンが3枚並んでいて、それぞれ別の人が写っていて、入れ替わり立ち替わり色んな人が登場する。全部観るとすると1時間弱はかかったかもしれないが、飽きずに観てられる内容だった。
 Tweetでも書いてるが、携帯電話やメールなどが発達してる今だからこそ、国外への出稼ぎ労働者たちが自分のホームグラウンドとの繋がりに、夢見とか虫の知らせとかの霊性の察知に心を寄せてるところへ着目してるのが、観ていてしみじみとくる作品だった。



↑Johan Grimonprez、『dial H-I-S-T-O-R-Y』1997年
 発表は97年だから、その数年後に911が起きてるが、メディアを巻き込むタイプの劇場型犯罪の先駆け(?)としての旅客機ハイジャック犯罪に着目して映像作品にするという、これは「現代アートの映像」というジャンルならではな表現だったと言えるな。作中、日本赤軍クアラルンプール事件とよど号ハイジャック事件も取り上げられている。


全編公開URL
https://vimeo.com/231411671



↑Johan Grimonprez『Double Take』2009年
 Tweetの説明が、一体何言ってんだか、悪文だったが、
テレビ放送の黎明期、フルシチョフの訪米、ソ連の科学技術優位時代といった東西冷戦時代をテーマに、西側世界のアイコンとしてこの作品ではヒッチコックを配していると。ヒッチコックはテレビドラマでも映画でも、冷戦世界のスパイ・サスペンスを色々と製作していている。そして代表作映画『鳥』(1963)をフィーチャーして、所々に烏を狂言回し的にカットアップヒッチコックは、自身の姿を撮った映像を多く残しているから、そこからもカットアップしてきて、歴史的報道映像の中に放り込まれていく。ヒッチコック英米でアイコンとして相当馴染みが深いが、ケネディニクソンといった政治家よりもここでは時代の象徴的な扱いをしている。歴史的な映像をモンタージュして新たな作品をつくるというのは、先ほどの『dial H-I-S-T-O-R-Y』も同じ手法だが、効果としてはそれだけで強いものがあるので、良い作品だけ観られたのは良かったな。私がやってる「歴史画」というやつも、これらに通じるやり方なんで、注目した。

全編公開URL
https://vimeo.com/133335917


↑Eija-Liisa Ahtila、『受胎告知』2010年
参照記事:『EIJA-LIISA AHTILA
THE ANNUNCIATION』https://www.guggenheim-bilbao.eus/en/exhibitions/eija-liisa-ahtila-the-annunciation/
これは、グループカウンセリングも併せてという印象だったが、あるワークショップで数人の女性が、受胎告知を受けたマリアの心情などを語り合い、それぞれが家に持ち帰り反芻して、皆で劇として演じてみる。篤い信仰の背景があってこその作品だと思う。撮影もきれいだったし、丁寧に製作されていた。






2本合せて2時間半くらいのを再度観たのね。


出展作をDVDにまとめたの、ギャラリーショップで販売してなかったか、またみておこ。



『美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年』展

東京国立近代美術館 2013年1月
東京国立近代美術館の所蔵品からの企画展
http://www.museum.or.jp/modules/im_event/?controller=event_dtl&input[id]=79085goo.gl



藤田嗣治
アッツ島玉砕』
1943年


藤田嗣治戦争画は2006年、京都国立近代美術館での生誕120年の回顧展にて観てるのだったが、どうやら私にはあまり印象に残らなかったようで、この2013年の時、初見だと思って観ている。2010年以前はあまり上京する機会もなかったため。

 藤田嗣治戦争画については、この後調べる機会があって、こちらにも書いた。

● 
絵画で正史はどう描かれたか -藤田嗣治の戦争画の場合


安田靫彦 1940-41年 『黄瀬川陣』




安田靫彦の大作とは、この頼朝義経兄弟を描いた歴史画のことだったが、後年、東近美での回顧展でもお目見え。繰り返しになるが、中世世界のテーマで手法は王道でありながら、強く近代性を感じさせる名作だと思う。ところで「一体、その近代性って何だw」と追究したいところであるが、別に便利な言葉として使ってみたつもりはないけど(いや結局は便利に使ってるか)いわゆる「テイスト」の問題もあるな、うーーーん難しくてとてもじゃないけど、ポッとは書けないw 人物の内面描写がとかね、背景の処理が、とか、かなーり色んなことは言えそうな問題だけど。私たち美術の専門家が「中世的」「近代」と形容する時、「テイスト」や共通の特徴を感覚的に捉えているんだろうけど、これを言語化するのは大変だな。美術の近代性(〇〇性ってつけるのもあまり好きじゃないけど)について整然と語れる人なんて、批評家にも研究者でもめったにいないだろう。てきとうな問題提起らしきものを投げただけで、この話は終わるのだったw まあ、しっかり分析された本があれば、読むけど。


画像のデジタルアーカイブでもあれば指し示せるのだが。版画のアジテーターというと、パリの五月革命なんかも思い出す。




ちょうどその前日に、東京駅近くのカフェで相互フォローの詩人の方と「ポストモダンでの大きな物語の終焉」といった話題で長話をしたことにかこつけて言ってる。
大きな物語とか、これも便利な言葉で、使うのははばかれるが。


 この上京の時に東京国立博物館にも行ってるが、東博のレビューはこちらにまとめてある。

● 
東京国立博物館 トーハク 感想ツイートまとめ その1
● 
東京国立博物館 トーハク 感想ツイートまとめ その2



ボストン美術館 日本美術の至宝展

大阪市立美術館 (2013年4月)
http://www.osaka-art-museum.jp/sp_evt/boston



大阪人は親しみこめて「天王寺美術館」と呼ぶ。いつも写真と印刷が見やすいなという印象。
軸物は、作家とは別で、表装の仕事も見ものである。雪舟の作品でも、後年の職人によるだろう表装がいまいちだなと思ったことがあった。ちなみに、2017年の美術史学会へ聴講に行って、京都の老舗の表具会社の会長さんの講演を聞いて、フィーバーした連続ツイートがこちら。↓


吉備真備大臣入唐絵巻、12世紀後半の作、紙本四巻。巻第一と巻第二の、部分だけ画像上げておく

巻の全体の構成、構図のことでdisってて、人物だけアップで見ると、愛らしくユーモアがあって見所もあるのだった。↓

部分拡大


下村観山の何と比較してたこう言ってたのか、不明w 今図録を見返していると、大変に見事な群衆図、よくできた構成じゃないと思えるのだが、絵画は、実際に観た時に受けた印象の方を信用することにするw 写真や印刷でなく実物観ると、違うものを感知するもので。
平治物語絵巻 三条殿夜討巻 13世紀後半作 紙本
参照図は両方共部分のみ






この時観たのは十六羅漢図の内の4幅。伊藤若冲は、世間では華麗な彩色画のイメージが強いかと思うが、この羅漢図もあまり気負いなく描かれてるかと思うが、こうした水墨画も大変良い。関西のミュージアムではちょこちょこ観られる。ちょっと手すさびで書いたような水墨画でも、一目で良いな、巧いと思わせる表現力や技量が若冲にはあって、近世の画家の中でも傑出してると思う。



この時の展覧会で目玉だったのは、蕭白。鬼の図というのは『朝比奈首曳図』。いずれも、人物や筆に躍動感があって、構成の巧みさも唸るものがあった。

1763年の、全長10m超の大作。みずみずしく、おおらかで、どこか若者らしい良さがあって、ほんと良いもの観られた。こういう作品に対峙した時、ちょっと作者と話もできたような気がして、良いもんです。






では今回はこの辺で。また来月更新、いつまでも続く。
yow.hatenadiary.jp
yow.hatenadiary.jp
yow.hatenadiary.jp