蠅の女王

小倉涌 画家 美術家 アーティスト 歴史画

お別れの時がきてしまいました。

  これをアップされてるということは、私は乳ガン転移性の肝臓のガンによって、もう永眠して荼毘にふされてることになるでしょうか。
  2019年12月23日の時点で、治療方法はもうなく、かなりの確立であと2〜3ヶ月の命だろうと宣告されていました。聞いたときは意外な話に呆気に取られました。だって、まだ元気なんですもん。これが徐々に下降していき最後は昏睡したまま亡くなるですって。んなことピンときますか。しかし、だんだん字もかけなくなるかもしれないらしいので、正月にこれを書いております。セカンドオピニオンを頼ってなんとか寿命を伸ばしてもらえないか、年末正月明けも動いてますが、今こんな発表をしているということは、病気の進度が早すぎて間に合わなかった、ということになります。


 基本今の私には、死ぬことはもう怖くありません。マッカーサーシリーズと二月革命シリーズをやり遂げたから。まあ、このあと、性風俗と法シリーズ、それから近代日本の風致政策、ソ連の芸術家アパートとシリーズを続けて発表していくことにしてたつもりのところへ、結構唐突な余命宣告でしたが。

 乳ガン発生頃からこの12年間が、人生で一番幸せでした。毎日この幸せを噛み締めて生きていた。技量が飛躍的に上がり、手法も確立させられ、多くの人に作品を認められ、会いたかった人に会えて、自信を持って描けるようにもなった。これまでのシリーズ作品についてはまだまだ「これから」が大きな課題ですね。この10数年が人生で一番綺麗だった。恋もした。

 まだ生きていたかったけれど、悲壮感はもはやなく、「色々とたのしかったなあ!」という気持ちでいっぱいです。

 私は唯物論の家の子に生まれたんでw、告別式もしません。墓は作品さえ残せたら充分だから要りません。我が猫氏の麦は正月明け里親が近々見つかってることでしょう、つてがあります。

 闘病の間、私のために多方から多くのご協力とご助力を頂きました。ありがとうございます。
 では、さようなら。
 

患者の心が折れないようにする医療現場のケア体制が凄い!

bunshun.jp


 さて今、私は自宅。一時退院という形で帰省中。
 ただいま自分一人でようやく、鼠蹊部のガーゼ取り替え処置を終えた。所要時間1時間以上。
 激痛堪えながら自分でやるのがこんなに困難とは。その前に痛み止めを飲んで置いてたが、麻酔とは違うんで効果なし、事後にさらにロキソニン飲んで、これを書いてる。
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 自宅には1ヶ月の一時帰省。この間にこれまでの作品(新作ではない)の東京搬出やら色んな手続きの用事を済まさないといけなく。
 今、腎機能が薬の影響で落ちてしまってるため、足からスネに水が溜まっているのだが、自宅だから対処しようなく耐えている。
 がっ!実は往診に特化したの医師が明日来てくれる
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 この往診のクリニックを紹介してくれたのが、病院に内勤してるソーシャルワーカー氏であった。まだ30歳前半だと思うが有能で、帰省にあたり、色んな「チーム小倉」のためのメンバーを固めてくれた…。
 訪問看護の保険適用スタッフと、家事代行もしてくれるスタッフは正月も稼働(正月料金)、往診医はほぼ24時間体制。往診医は病院との連携もとれていて、こちらの要望を私の代わりに病院に交渉もしてくれる。
 凄い、凄すぎてもはやカルチャーショックだった。

 自力で夜中に孤独に、痛みに耐えながらガーゼ替えしてると、「病気を苦に自殺」という文字列が浮かんできた。結論から言えば、こういうことでの自殺件数を減らす行政などの取り組みの一環が、この手厚さなのではないかと。

 そりゃ、こんなことでも毎日頼る人がいないと心も折れるわ…。私は、往診の無い日は自分でやらざるを得ないだけで、明日は看護師にお任せできる。一昨日から浮腫と人面瘡のために歩行困難に陥ったため、買い物のままならない体に。おまけに、薬の副作用で、口の中がひどい口内炎、固形物が食べられなくなった。食欲は普通にあるのに。そしたら、訪問薬剤師が手配され、5種類のフレーバーの栄養補助食品が家まで届けられた。

 身体の不調が今局所的にあるが、人面瘡(あえてこの病名で通すw)筆頭にどれも「痛い」のばかり。それ以外の本体や頭脳、腕と手は元気だ。にも関わらず、自宅で孤独に処置や不自由を引きずって生活やってたら、誰でも心が折れるだろう。私も、耐えきれず全ての用事を放棄して再入院を選ぶしかなくなる。

 心が折れずに済む手配がめちゃ手厚いのに驚いてる。こんな世界があったなんて。ことの始まりは一年前の癌の肝臓転移による入院中。私は何も言ってないのにお助けマンたちは「向こう」から歩み寄ってきたのだ。

お助けマンたち参上

 ことの始まりはこのようにして訪れた。
 入院すると先ず薬剤師、栄養士、看護師長などが様子見や挨拶、手術があるなら麻酔医などが顔合わせに来る。その流れでヒョッコリとソーシャルワーカー氏が挨拶にくる。彼女と私は実際は歳の差あるが、同年代のように雑談に転じていく。

 心配してることは無いですかとの問いに、真っ先に親族が私の作品を、将来的に処分したり好きなように弄るのを法的に阻止したいという話を持ちかけた。身内の恥を恥とも思わず、どこへ行ってもこの話はする。Twitter検索で「@yow_ 甥」を入れるか、以下のスレッドを参照。



 ソーシャルワーカー氏との雑談は
「えっ、画家さんなんですかー、私画家の人って初めて見たーw」
iPadに入ってるポートフォリオを見せる
「ええええ!凄い!」
まあね、ボカあ凄いんだぜ。
というながれがあり、
「その心配事って小倉さんにもしものことがあったとき、ですねえ」
「はい、ハハが相続することになるけど、もうひたすら頼りない状況で」
今、肝臓がこんなグロいことになっちまったからには、自分のもしものことは考えてみてもいいかもしれん…と心が動く。

「では、手始めにお母様のことを司法書士に頼むというのはどう?私がお付き合いある事務所があって」
ふむ、手付けに20数万円でこれだけ幅広く動いてくれるものなのか初めて知った。「では会ってみます」
すぐアポイントがその場でとられ、やがて司法書士さんとソーシャルワーカー氏3人で和気あいあい雑談交えての面会。
 司法書士さんにハハの見守りをお任せする契約はすぐ決定出来て、なされていった。その上で私も守られているという感じがあった。これはお客様満足度が高い。
 ソーシャルワーカー氏は、私やハハの医療負担をなるべく抑えられる役所手続きも教えてくれた。そして私は、抗ガン剤の通院治療スタートに移行するため退院。
 
 そして月日は流れ、あれから一年後、今度は人面瘡が鼠蹊部になぜか湧く。そこで即皮膚科入院となった。皮膚科と同時に、
抗ガン剤の投与による不都合が発生、血小板の値が低すぎて危険水域、抗ガン剤を停止してホルモン治療に切り替えられるも、今度は癌細胞が盛り返してくるという危ういバランス状態に突入してしまっていた。

 その病状が主治医からソーシャルワーカー氏に伝えられ、急遽、司法書士さんに私の見守りについても契約をとっておこうということになった。転ばぬ先の杖だ。今後のことがまた三者で和気あいあい且つテキパキと話し合われた。
 あ、その前に、ソーシャルワーカー氏が人面瘡が厚労省で難病指定にあり、それで申請をしたら医療負担が更に抑えられると教えてくれて、住民票を取りに行くなどで私も動かなくてはいけなかったが、ソーシャルワーカー氏がこれにも主に動いてくださった。


 12/23、東京で個展をしたギャラリーオーナーさんに再入院のことを告げたら、じゃあ、もっと広く多くの人に作品観てもらうことを目指しましょうと始動してくれて、その作品搬出や作品の整理、あと役所や生保や色んな手続き、家の整理等のために、27日から1ヶ月間の帰省を申請。
 
 退院申請が下りるかどうか待つその間、相変わらず雑談しながら、ソーシャルワーカー氏が帰省中の不便を解消するため、病院と連携が出来る往診医、訪問看護、家の片付けを手伝ってくれるサービスに次々に連絡をとっておさえていってくれた。訪問看護は、冒頭の人面瘡のガーゼ処置や訪問薬剤師を呼んでくれる。

 でもね、この時期、正月はさんでるんだぞ?その間ふつう休業するでしょ…
でも30日もガーゼ交換と往診医が訪問に来てくれ、病院側に私の要望を伝えるため動いてくれた。家事代行サービスも電話が通じて、正月料金増しで頼むことが出来るし、介護タクシーの手配もしてくれた(人面瘡ろ浮腫のため、歩行に困難なう)。31日大晦日もガーゼ交換に看護師さんが訪問してくれた。

 なんだろう、この手厚さは!!私が特別じゃないんだ、ここには何かの意思が働いておるとしか思えない!
そこで、冒頭の孤独な作業中に浮かんだ推論に戻る。
「孤独による絶望に至る前に、ケアを発動する」
「病気を苦に自殺というようなことの前に、予防的に積極的に働きかける」
私はそんな踏み込んだケアの一環を受けてきたのだ。

 私の場合、これはいわゆる「緩和ケア」だ。一年前の時点で、「小倉に緩和ケア発動!!」指令が出ていたのだ。そして非常に迅速に、看護師や主治医含めて、「チーム小倉」が構築されていった。私がそれと気づかない風に歩み寄ってくる。私はただただ、その人達とフレンドリーにしてきただけ。

そこで、京アニ事件の犯人の、「こんなによくしてもらったことがなかった」と言ったニュースに想いを馳せる。

 あの犯人がどこの病院でケアを受けてるかは知らないが、私が経験しているように大勢の「チーム」に支えられて生きてるという実感があの言葉だったのではないかと。「独りじゃないよ」と言われなくても、独りじゃない実感が確固としてある。
 先回りの、予防的な、一歩も二歩も踏み込んだ、かつ組織だったケア体制。
病気や何か苦に絶望してセルフネグレクト状態になるというビジョンが「さもありなん」として、今回は私にも実感として見えた。セルフネグレクトにならせない、病苦で自殺に至らせないようにするには、これだけ、手厚い体制が必要なのかもしれない。
 

アート関連の言葉の耐えられない軽さ

 先日電車でぼんやりツイート眺めていたら、こんなnote記事が流れてきたんじゃ。
www.evernote.com


 アートあるあるでしかも良記事なんで、これは向かい合ってみないわけにはいかなかった。原文記事にて言及されてた他の記事、映画もチェックしてみた。

 【意訳】アート関連の理解不能な文章、よくないよね より

全ての専門分野には、この手の意味不明な専門用語がかたちを変えて存在している。
非常にわかり難い、気取った言い回しの、排他的かつ無意味なことば。
まるで招待客に説明しないまま内輪ネタを話し続ける、最悪なパーティーの主催者のようだ。


だがアートの世界の隠語、通称 インターナショナル・アート・イングリッシュ(略してIAE)はすぐには無くないようだ。
この呼称を命名したライターのアリックス・ルールとデイヴィッド・レヴィーンは、IAEの白痴を指摘する大胆なエッセイをトリプル・キャノピーに掲載した。
だがそれは2012年の話だ。この6年間で批評家やコピーライターたちはその方向性を変える姿勢を見せてきたのだろうか。少なくとも私は気づかなかった。


 言うまでも無いが、アート界の難解な言い回しのほとんどが、専門用語ですらないし、プレリリースが難解な文章であったならそれは、単なる飾り、作品の引き立て役を担っているだけだと理解すればいい。記事は英語圏でのアートワールドについて書いてあるが、日本の日本語文においても状況そっくりそのまま移植されてる。最近では、科学をテーマにした企画展で、難解さを着飾ったステートメントに出会うことがあった。
 実例を示せたらいいけども。科学テーマの場合、私が指摘するには充分な知識が無いのでdis止まりとならざるをえない。


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サイエンスアート今から観るだ
17:07 - 2018年10月8日

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ギャラリーだったので無料じゃった。バイオアートがテーマなのかな。ロバート・スミッソンの出展があるから何かなと思ってたら、小さいシンプルな写真1点だった(アート展あるある) なんかひねりが無いというか、NHKスペシャルの二番煎じのようで、そこはマンガや小説と違ってアートの限界を感じた
18:45 - 2018年10月8日

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ETVで見る海外ドキュメンタリーテレビとかそういうので観たようなアイディアで、数十年先まで残す作品として制作されてないんだなというのは分かるので、
まあ、一人で考えて作る限界でもあるし
19:08 - 2018年10月8日


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サイエンスアートは、アーティスト一人で一つの作品やるより、それこそドラマの脚本チームみたいに、構想練れる人4〜5人で共同制作した方が良いかもね、分からんけどな。
19:13 - 2018年10月8日

 作品が持つ内容と、ステートメントによって示したいと願ってる規模の釣り合いが取れてないのを言ったのだが、フーコーについて改めて百科事典的な説明をしてみたからといって作品の評価にどう関係してくるのだろう?基本的によく知らないことを扱う際は非常に多くの準備が要るものだと考える規範が、やはり美術界全体には昔から無いのだと思う。

 「政治」をテーマにした作品においても、文節ごと、選択された単語ごとに引っかかってしょうがなく、「関東の芸人が使う変なイントネーションの大阪弁」を聞いてるような、居心地の悪い思いをすることがある。そこでは「近代」とか「システム」とか「権力」といった何の専門用語でも無い単語でであっても、その言葉の歴史的思想的背景はあまりに膨大で、それを勝手なおもちゃのように簡単に散りばめてるのを見るが、美術館での企画の場合は誰がそれを許して通してるのか、昔からの謎であった。美術修復と作品保存と厳密な空間展示に関しては日本の美術館は本当に素晴らしいのだが、作家やキュレーターが書いてきた文章や言葉に対しては恐ろしくアバウトになる世界なのである。


 そんな美術館企画での謎状況が再現された映画がある。上のnote記事にて紹介されていた2017年製作の映画である。
www.transformer.co.jp
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 舞台はスウェーデンの王立美術館。作中で、学芸員たちを前にして若い二人組の映像作家が企画プレゼンを行うのだが、この内容がいかにもあるあるで、良くリサーチされて書いた脚本だと思う。長いが、以下に引用してみる。下線をした箇所は、もし私がその場でプレゼン聞いてたら「これは聞くに値しない」「何も考えてない地雷臭すごい」と感じる言い回し・言葉である。文節ごと、選択された単語ごとに引っかかる、絶妙なリアルさのあるあるある再現であった。


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「今回のプロジェクトは、話題性が抜群で、人道的議論も呼び起こす催しです。ただ問題は、メディアの雑音にどう対処するか、どう鎮めるか
ライバルは他の美術家ではなく、自然災害とかテロリズムとか極右政治家の言動なのです。それを頭に入れて聞いてくださいね。」

話始めののっけから、このエクスキューズがくる。

「私たちが提案するのは「動くメディア」です。動画制作の際に考慮すべき点は、人の注意力が長く続かないということ。」

このエクスキューズ自体が、「この作品の内容」の全てであることを、おのずと示してるようなものである。

「人は2秒再生して面白くないと思えば、次の動画へ移る。遅くとも10秒から15秒間にインパクトのあるシーンを作り、多くの人がシェアすれば、FacebookSNSからタブロイドへとうわさが伝わってきます。バイラル効果を狙うんです。それでは何を取り上げればシェアされ易いのか、市場調査を行いました。」

 ここは全部下線を引きたいが、そうすると読みづらくなるので、もう、下線は無しで引用続ける。市場調査と称して実際は彼らは家で何をしていただけなのか、想像に難くない。しかし、学芸員の中で一番若い人は、彼らを信じている表情をしている。おそらく彼女がこのユニットを推薦したのだろう。ベテランの2人はこの後から不安で顔を曇らせていく。

「一番は、弱者の話です。具体的に言えば女性たちや障害者の人達、人種的な差別を受けてる人。LGBTQの人。こうして挙げるとキリがありませんが、中でも最も多かったのが、物乞いです。そこで、作品の主人公は物乞いにします。大きなインパクトを与えるために、子供を使う。ダメ押しで、美しい金髪を持つ幼い女の子を起用します。典型的なスウェーデンの子を。待って。(学芸員の発言を制止する)」

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「オープニングは王宮の中庭。『ザ・スクエア』も見えます。商品は冒頭から出すのが鉄則だ。『ザ・スクエア』に向かって、夜明けの光が差し込んでくると、四角形が信頼の輝きを放ちます。思いやりや正しい勇気や善意に充ちている。」

ザ・スクエア』というのは、このユニットとは関係のない他の女性アーティストによる新作のインスタレーションである。人の作品を踏み台にするという、これもあるある感に溢れてるw

「そこへ、少女が現れる。体を震わせて、たった1人で泣いている。汚い毛布に身を包み、まるでホームレスのようだ。映像観た人の心をつかむ。少女の衝撃的な映像に目を離せなくなる。少女は震えて、スクエアに入り、ここで意外なことが起こる。『ザ・スクエア』の精神に似つかぬ展開だ。その意外性が話題を呼び、世間の注目を集めれば、美術館がメッセージを伝える上で非常に強固なプラットフォームを作り出すことができます。価値観を提示したり、課題を訴えたりがスムーズにいく。」

少女性を前面に立てて、何か政治的切実さを醸すという視覚芸術あるある。
そこへ顔を曇らせつつベテラン学芸員が話し出すが、どうも作家への切り込みが頼りない。

ベテラン勢:「んー、面白いわ、全く予想外ね。小説みたい。物語がある。それが狙いだから。なるほど。」


若い学芸員:「だけど、意外な展開って?何が起こるのか気になる。内容によると思うんだけど…」


アーティスト:「それが実は、細かい具体的なところまでは未だきちんと詰め切れてなくて。いずれにせよ、少女がスクエアの中で傷つくような展開にするつもりです。」


若い学芸員:「傷つくって、何よ!?どうしてそんな展開になるの!」


アーティスト:「少女が傷つく、それは最も観客を裏切る展開で・・・・」


(ここでチーフキュレーターが登場、実はここでプレゼンが行われてるのをすっかり忘れていた)


ベテラン勢:(アーティストに向かって)「斬新な企画よ、しっかりアピールして!」


チーフキュレーター:(企画書を適当にめくり)「ふん、ふん、これで問題ない」
(そして急ぎの用で部屋を去っていく。明らかに文を読んでない)


ベテランその1:「なんだか、怖いわ…」


アーティスト:「何も怖くない。」


ベテランその2:「えー、世間の反応について心配する必要はない。うちはきちんとした危機管理を行っているからね。あらゆる事態を想定して前もって対策を練ってある。リスク分析は問題無い。動画公開に伴う懸念事項は互いに共有し、対処しよう。」

 しかして彼らが選択した「意外な結末」は、『ザ・スクエア』の中で、少女が子猫とともに爆発死して、次の文言が映し出される。
「どれだけ非人間的な行為が行われたら、あなたの人間性に届くのか?」

 動画は展示作品というより、美術館アカウントのYouTubeにアップロードされる形で、公開数時間で数十万回アクセスを誇り、うまく炎上し、記者会見が行われ、チーフキュレーターは美術館重役に詰められることになる。

「今こそ胸を張って立ち上がるチャンスじゃないのか?我々美術館は規制を恐れずに枠を超えるべきだ。あらゆるタブーを打ち破って、世に問いかけなければ。自由は決して侵してはならないものだ、それが信念だ。自由を守るため、立ち向かうよ、とことんね。」

 それでも「ベビー用品の企業はうちに寄付をするかしら?」と詰められ、チーフからは辞任に追い込まれていく。このチーフキュレーターはこの企画の仕事と同時に、私生活で社会的プライドにかかわる問題が起きて焦っており、その収拾で頭がいっぱいだったため、企画にはまともに取り組んでいなかった。その一方で上のようなスピーチもスラスラ出てくるので、彼の普段の仕事ぶりをも想像させる。


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 「アート関連の理解不能な文章」をしなくなる解決策としては、ミュージアムやジャーナリスト、キュレーターとアーティストも、日頃様々な専門の研究者と付き合いを持つようにして、教えを伺ったり概要を知るための入門書の良書を紹介してもらうといったことしか、私には思いつかない。すると当然、筆と口がどんどん重くなる。言葉少なになる。そこからスタートするしかない。


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余談だが、映画の中盤でショッキングなアートパフォーマンスが行われる。かつてのモダンアートにおける近代志向と野蛮さへの趣向という矛盾を、現代の「リベラリズム」に置き換え。実際には行えない、映画の中でしかできない、悪夢の「アート無罪」が展開される。機会があれば観てください。

ボルタンスキー、高松次郎、マッタ=クラーク、他 -展覧会の感想をTwilogから発掘する(七)

 ボルタンスキー展が6月12日より東京で始まったようで、先月に大阪巡回に行った感想をブログに出してしまおうと思い立った次第。展覧会の感想をTwilogから発掘するシリーズとして、今回は過去のインスタレーションの美術展示でまとめた。

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ボルタンスキー展 (2019年5月5日 大阪国立国際美術館

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会期ギリギリ、
ボルタンスキー展今から観るだ。
12:23 - 2019年5月5日

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期待はずれ、
最も代表的な作品しか知らなかったので、他の仕事観て、代表作から今日まで世界的に有名なアーティストとしてやってこれたのは、運が良かったのかなどと思ったり。
感想はまた明日
21:49 - 2019年5月5日

 敢えて太字にしてみた。
 一応、代表作の概説など

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ボルタンスキー展:80年代の代表作、70年代の作品もあったが、半分以上が2000年代に入ってからのインスタレーション展示。代表作というのは、ナチスによるユダヤ人虐殺をテーマとした「モニュメント」のシリーズで、人物の白黒の肖像写真と電球と黒いコードを組み合わせた作品
21:16 - 2019年5月6日

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ボルタンスキー展:どこまで考えてやってきた作家なのかなということを考えながらずっと観ていた。実物を鑑賞するとどうしても、物のマチエール、その選択のこだわりを見てしまうが、映像ではそこは見えてこない、写真を含め映像映えするところがある。映像だと、デヴィッド・リンチのセットのようだ
21:25 - 2019年5月6日


 モチーフのマチエールへのこだわりが存外に薄い、というのが先ず気になったところ。実物を見ないと、写真で知ってただけだと、そこが見えてこない。それと、モニュメントシリーズで遺影として使われてるポートレート群にしろモチーフにしろ、由来があるのか、実は由来はなくてこのように仕立てたのか、展示やキャプションだけでは分からなないので、もしきちんと批判するならテクストを読まないととは思ったのだが。ポートレートに由来が無かったとしてそれがどう作品評価に繋がるか、逆だとどうか、考えるが、それ以前に作品自体にあまり見所がない。写真映えはするけど、実物では呆気ないものがあった。といって、ブリキの質感をヴィンテージ風に作り込まれても(趣味の世界ならともかく)現代アートとしてはアレなんだよな。何かもっと良いセレクトがあるようなそんな気がする。

 東京巡回が始まってから、こんな批判ツイートも流れてくるようになった。

bijutsutecho.com

 批判通り作品自体は「架空の死者」だったのかどうか、テクスト読まないと分からないが、インタビュー記事読むと、あまりにフワフワしていて、どうフワフワしているか検証するためにフワフワしたテクストを追わないといけないという、私には到底気が進まない作業なので、これ以降も特に何も読まず。(評論やってる人も大変ですよね)


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ボルタンスキー展:物のマチエールへのこだわり、というと1970~71年の、誰かの遺品のようなオブジェ作品。これは撮影不可で、ネットでも無かったので示せないが、古いブリキの保管箱に経年劣化してホコリを被った子供の長靴、食器が安置されている。実際は粘土で作られたとパンフで知ったが
21:41 - 2019年5月6日


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ボルタンスキー展:私には広島の原爆資料館で見た展示品を想起させるもので、戦災などの忌わしさを暗に放つ作品であった
21:45 - 2019年5月6日


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ボルタンスキー展:これはコートの山と、コートを纏った板で簡易に作られた人型のインスタレーション。これも実物よりも写真でこうして見る方がずっとよく見えるな。展覧会で撮影したのはこの展示のみ。全体に照明が暗くされてるから撮影困難だったというのもある
21:49 - 2019年5月6日

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ボルタンスキー展:何がどう、ともすぐ言えないのだが、このインスタのコンセプトのためにもっと完成度の高いところがあったんじゃないか、という印象を持った。
21:57 - 2019年5月6日

 実物観る印象では、これもコートのマチエール(生地、作り)や使われたベニヤに何かこだわりがある風でもなく、映像ではそこまで見えてこないから、これで充分今のネット時代に向いたインスタレーションなのかもしれんが。ただ、マチエールやモチーフにこだわりがないということは、作家がそのテーマにどれほど迫眞してるか、ということだと思うのだが。
 風鈴を沢山立てた屋外でのインスタレーションの映像の展示があったが、これも、どこの国際芸術祭でもいつか見たような、既視感が否めないところがある。

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ボルタンスキー展:1944年生まれということでもうお年召してるから、最近の作品ではこうなるのかなという、どこかの国際美術展で似たものを観たことあるようなそういう印象は否めない
22:32 - 2019年5月6日


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ボルタンスキー展:インスタレーションではよく、敢えてチープな物を組み合わせる作品も世に多いが(段ボールやスポンジたわしやペットボトルなど)、ボルタンスキーの場合、作品に使われる電球の品種と黒い電線にしかこだわりが無いのかな、他の物では敢えてこの質感の製品を使ったという必然性が
22:06 - 2019年5月6日


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ボルタンスキー展:小さい人形にライトを当てた影絵のシリーズは、ちょっとウーンって頭を掻きたくなったり(危ね、脱毛中なのに)。パンフ見ると、もとは教会でドームの内側に投影させた展示だったようで、そりゃそっちの方がはるかに良いだろうよと。
22:11 - 2019年5月6日

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 アーティストの成功ってナンダロー(棒)
 「脱毛中なのに」
 これは、私が抗がん剤で現在無毛状態にあることを言っております。思わず人目憚らず医療帽脱いでグシャグシャ掻きたくなった、と申しております。


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ボルタンスキー展:この『Crépuscule(黄昏)』と題した展示は、ああさすが電球の作家だと思えるインスタレーションで、電球愛を感じるw 無数の電球が床にしかれ、黒い電線の流れから一方方向を目指させてるのが分かる。会期中に少しづつ灯が消されることになっていて、最終日は真っ暗になるのだろう。
22:22 - 2019年5月6日

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ボルタンスキー展:私が行った昨日は、会期終了間際だったから、たった二つの電球だけが灯されていて、他の光らない電球の行き先を導いてるようだった。これは会期終わりに見るのがオススメかも。光ってない沢山の電球が死者の群れのよう。電球の灯の色、大きさもちょうど良い感じw
22:27 - 2019年5月6日

「電球アーティストでした」
この一言に限る。以上。

高松次郎 制作の軌跡(2015年6月 大阪国立国際美術館

www.nmao.go.jp

 これは、私が今までに観た現代アートの美術展でベストに入る展覧会だった。

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国立国際での高松次郎展、観てきた。館での展示の仕方がきれい・良かった。『ネットの弛み』『布の弛み』『ネットの弛み』の三つのインスタ展示は、もうシミジミときた。フーコーの狂気の歴史、監獄の誕生、言葉と物の本装丁も高松さんだったんだね!知らねかったー。あれはシミジミ見た事なかったわ
23:10 - 2015年6月17日

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高松次郎フーコーの本装丁に注目した事は無かったけど、コンパスによる原画は良い抽象だったし、そう思うと監獄の誕生も良い装丁じゃないか!と。
23:12 - 2015年6月17日

監獄の誕生 ― 監視と処罰

監獄の誕生 ― 監視と処罰

 まだ持ってないお。良い装丁デザインだと思う。

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高松次郎:赤ペンキのインスタも、代表作の影のシリーズも、ゴルフボールの絵も、遠近法シリーズも、日常品を使った作品だが、どれもモチーフの選択がベストでよく考え抜かれている。デュシャンの泉のようにビシーッと焦点が合ってる。数学の式のよう、つまりエレガント。
23:18 - 2015年6月17日

 作品の適当な画像がなくてですね、ここは作品集買わないとどうしようもないw
 遠近法のシリーズと称したのは、こういった作品になるのだが。

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高松次郎:「よく考え抜かれてるな〜もはやこうとしかありえないよ」って、それだよ、私がコンセプチュアルアートってのにもとめてるのって。
23:22 - 2015年6月17日

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良いコンセプチュアルて成り立たせるのなかなか無いんだろかなーとか思った。否、んなこたぁ無いよなー。とモニョモニョ。コンセプチュアルの作品に「〜の道具」とかタイトル付けるの、禁止したらどうか。
18:09 - 2015年6月16日

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高松次郎みたいな人が、美大教育ガーとかツイッターで言ったら、ぼかぁほんとガッカリするよ
16:40 - 2015年6月18日


 ん〜、記録はこれだけか。w しかしもう一度タイムトラベルでもして観たい美術展である。


ライアン・ガンダー この翼は飛ぶためのものではない(2017年6月 大阪国立国際美術館

www.nmao.go.jp

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今から観るだ。
14:36 - 2017年6月30日

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全体に、私には評価が難しい。というのも、この作家を実際にとりまく環境・チームガンダーの働き、コラボ、そういったことがアートなのかも知れず、そこまで考えに至るとまた感じることも変わるだろうと思う。観てる間、数年前に観た高松次郎回顧展とずっと比較してしまってたのだが、
9:03 - 2017年7月1日

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高松次郎展の時は、全てのモチーフの選択、手法がピタッと合わさって、それがキチッと合わさったパズルのようで、今まで見た美術展の中でも指折りの印象に残ったものだったが、今回は、敢えて言うと他者に納得させるという表現ではないのね、おそらく
19:10 - 2017年7月1日


 高松次郎展をよく比較対象で引き合いにする私であった。


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タイトルが詩のようになっているから原題の英語で見るように努めたが、例えば
「A sheet of paper on which I was about to draw, as it slipped from my table and feel to the floor」
19:22 - 2017年7月1日

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「Ftt, Ft, Ftt, Fttt, or somewhere between a modern representation of how a contemporary gesture came in to being, an illustration 文字数
19:33 - 2017年7月1日

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英語のタイトルを読んでも、私にとっては必然性を感じない。それがすなわちダメと言うわけにもいかない。しかしデュシャンの「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」といったタイトルやマグリットのタイトルだとススッと入るものがある、これは歴史的な積み重ねもあるがそれだけでもない
19:40 - 2017年7月1日

 ガラス玉を沢山置くインスタレーション、これまで生きてて、何度出くわしたことかな。またこのパターンかと思わされる。何処かでいつか観てきたような。ちなみにこの矢のインスタレーション、実際にボウガンで撃ってたら面白い展示になってたと思うが、接着されてるだけで。


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「想像をどんどん膨らませること」が作家の基本コンセプトになっているが、それでも、想像の問題だったとしても、私の好きな歌人たちの詩の、ギュッと凝縮した瞬間の感じとも違う
19:45 - 2017年7月1日

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矢の作品も、ボウガンで実際に撃って刺さってたら面白いんじゃないかと思ってしまったが、接着剤等で一本一本設置されてる。ボウガンで撃たなかった事自体にコンセプトがあるのかどうか。(16番)
20:27 - 2017年7月1日

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私は、芸術、アートは自由だ、とはあまり思ってないのだ。他人に多大な迷惑さえかけなければ自由だ、という意味では自由なんだが、可能性があるということとただ単に自由というのはまた違う
20:48 - 2017年7月1日  



ゴードン・マッタ=クラーク展(2018年6月 東京国立近代美術館

www.momat.go.jp


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今から観るだ
12:22 - 2018年6月27日

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寝不足のため、半分居眠りしながら観てる
15:36 - 2018年6月27日

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浅田彰さんと遭遇したので目が覚めた
15:36 - 2018年6月27日


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マッタ=クラーク展:「期待してたけどやはりこうなるか」という展示。(多分誰も悪くないよ)映像と写真が主になる。
この写真は、ニューヨークMoMAで観たマッタ=クラークの展示。実際の家から切り出して平面みたいに設置してしまうのねん、この大雑把な乱暴さが、イカすところんだが
22:27 - 2018年6月27日

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マッタ=クラーク展:大きいのは多分移動出来んしな、しゃあない。大きなプロジェクトとしてのアートが、まあ何というか、花開いてた時代の作家。アースアートとかね
22:31 - 2018年6月27日


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マッタ=クラーク展:1971年の、樹上生活するプロジェクトのキャプションがヒドくて、思わず書き写してしまった。()内は私の声
「重力とせめぎ合いながら」
(せめぎ合ってない)
「刻々と新たな時間が生じてる」
(生じてない)
「新たな生活空間が示唆されてる」
(示唆されてない)
22:50 - 2018年6月27日

 現代アートのキャプションの文章がよくアレな件

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「マッタ=クラークはのちに近代建築を“問題解決“に失敗しただけでなく、家というレベルでも制度というレベルでも、非人間化された状態を作り出した」
一時期「近代建築」について、こう見立てるのが確かに流行った時代はあったな。今、誰もピンとこないじゃろ。
22:54 - 2018年6月27日


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マッタ=クラーク展:ブツの展示は、これ。小さな屋根の部分。この「ぶった切ってオブジェにしたった」という素朴な乱暴さが、グッとくる
22:37 - 2018年6月27日

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マッタ=クラーク展:「家切り取ってオブジェ」シリーズは、まあ最近散々話題にしてた「形式主義」にも位置付けられるのかいなと。
家もそうだが、↓これも自然に出来た層に成るオブジェと化してる。自然に出来た層というのが、それだけで佇まいを見せるのよな
22:43 - 2018年6月27日


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よう知らんけどな。ここでも見てくれ
"グリーンバーグなど読書メモ - Togetter"
togetter.com
22:45 - 2018年6月27日

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マッタ=クラーク展:この建物の壁を切り取って、四つスリットに切り取っただけの平面作品、これはなかなかグッときた。経年の層の積み重ねがスリットから見えてくるという。
23:01 - 2018年6月27日

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PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015 (2015年4月 京都市立美術館、他)

parasophia.jp


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パラソフィア:先4/1,4/3、市美術館、森村さん、崇仁野外展示だけ廻れた。浅田彰さんのレビューがあり http://realkyoto.jp/review/parasophia2015/
「浅田さんのツンデレじゃないの」との意見もあったが、行った範囲ではどうもここに書かれたような感想を私も抱いた。他所も改めて行くが
17:28 - 2015年4月4日


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映像作品が多い事自体は、一昨年国立国際であった『WHAT WE SEE 夢か、現つか、幻か』展では、出展作がどれも見応えがあって、何回でも行きたくなったものだ。http://goo.gl/ipSRAx http://goo.gl/aBKbxy パラソフィアでは、正直それほどでも…
内容さえ良ければ、60分超が何本も、とかでも嬉々として行きますよね
17:30 - 2015年4月4日


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映像では中でも、石橋義正さんのダンスの映像が大変良かった。多分ドローンカメラを飛ばし、踊り手を俯瞰でずっと追っての長回し撮影。カメラワークがきちっと計算されてあり、どうやって制作したんだろうと舌を巻く。
17:34 - 2015年4月4日

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ただ、その前のドールとかファッションモデルの人のは、要るのかどうか、謎であったw このダンスの作品だけで充分素晴らしいじゃないか。撮影場所は多分、下鴨だと思うが、下鴨での出展とコラボになってるのか、未だ行ってないから分らんけど
17:35 - 2015年4月4日


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この法廷と枯山水とを併せた作品が印象に残ってる。倉智敬子さんと高橋悟さん。カフカについてまで考えられてるかは分らないが、法廷や法での「抽象性」を表現するのに枯山水の庭に見立ててるんだろうと思われ。
20:24 - 2015年4月4日

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イタリアや南米などマフィア犯罪が多い外国で見られる、監獄のある法廷内。最後列が鏡で、被告になってしまった鑑賞者が写ると。判事のハンマーがししおどしとして時々鳴らされる。
20:26 - 2015年4月4日

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 この法廷の作品は、記憶にずっと残る良い作品だった。


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崇仁地区の野外展示。ジェントリフィケーションの文化行政が始まるそう。空き地が虫食い状に出来てしまって、開発が滞ってるのか、そういった地域。その空き地を利用して、「行政による不法占拠を防ぐ網」に囲われてる中でインスタが置かれてる。
20:31 - 2015年4月4日

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という状況自体が面白い。という作品。崇仁地区で団地や住宅の中で取り残されてるぼっちなアート、という状態がどうも面白いわけです。(中の展示がというより
20:32 - 2015年4月4日

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PARASOPHIA2015、他にもつぶやいてたのだが、良かった作品だけここに上げておくことに。
今回はこれにて。

絵画復元でのAI技術による「客観性」について  〜NHK『モネ 睡蓮 よみがえる“奇跡の一枚”』を観て

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www.nhk.or.jp

古い白黒写真からカラーに自動変換される際の問題

 2019年6月16日日曜日、21時、NHKスペシャルにて『モネ 睡蓮~よみがえる“奇跡の一枚”~』という番組をやっていた。番組冒頭のナレーションではこう言っていた。
「失われた半分をAIを駆使した最新のデジタル技術で復元されました。前代未聞の試みです」
 番組製作としては、「AIによる画期的な試み」推しで企画されたことが伝わる。その後も今回のAI技術の最新性?をアピールするナレーションが繰り返されるが、観てる方は特段、これで最新のものである印象がしてこない。放映時思ったのは、「失われた美術」の復元図の客観性をAIに担わせるというよりは、AI駆使したと言えば選定の客観性を主張しうるとなっていくような、危うさを覚えたのだ。最近、Twitterでよく流れてくる「古い白黒写真をニューラルネットワークによる自動色つけ」というのがあって、色判定が果たして正しいのか分からないのに歴史的な写真においてこれが実際の色彩だったと一般には認知されてしまう危うさを指摘する人も多い。

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特に、この呉から撮影された原子爆弾のキノコ雲の自動色つけが流れた際は、キノコ雲の実際の状況、科学的現象とは反した色つけになっていると批判があったのを覚えている。今回の番組のクロード・モネ作品も、1925年に全体像を撮ったネガが残されていて、その白黒写真を元にカラーのデジタル復元画像を製作するという企画であった。

番組前半 ー 件の絵画作品の経緯と、日本での美術館修復作業

 件のクロード・モネの1916年大作・タイトル『睡蓮 柳の反映』は、往年の美術コレクターである松方幸次郎(1866−1950)がモネから直接買い上げたもので、第2次大戦で作品をフランスに置いたままにせざるをえず、パリ郊外の村の民家にずっと安置されていたが、湿気対策等をとっていなかったため、件のモネ作に関しては、画布や顔料の湿気での膨潤を経て絵の具の夥しい剥離、さらにカビの侵蝕といった被害を被っていて、大戦後、一旦木枠から画布を外して傷んだ画布上半分を切除したようで、下半分だけがルーブルの保管室で更に数十年眠っていた、ということのようである。 

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 松方幸次郎所蔵ということで、東京の国立西洋美術館に郵送され、こちらの修復士で作業を行ったと。西洋美術館での修復作業は、チョウザメの皮の膠?を接着剤にし剥離した絵の具を繋げ、画面に付着した厚い埃を除去し、補筆・補彩は一切加えないという、現状維持で且つ最善の状態を目指したもので、通常のミュージアムの修復の仕事だったと思われる。この修復作業や画家の経歴紹介が、番組の前半分を占めている。

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デジタル画像復元図の制作、ふつう、こうしない?私だけ?

 そうして、番組はデジタル画像による復元図制作の紹介に移る。放映時、このデジタル復元の様子を観ていて「なんて要領の悪いまどろっこしいことをしているんだろう、」と思った絵描きクラスタは多いかもしれない。私も「この人工知能の研究者は絵画復元を通して、いったい何がしたかったのだろうか?」と思った。私がもし、復元図製作を任されたら、こういう手順を考えるだろう。

  • 使われた絵の具や画布の特定、修復士に先ず訊いて、必要なら科学分析に来てもらう
 → 当時の既製品かどうか。
   顔料はどこで採れたものか。
   顔料の粒の粗さは。
   画布はどこで入手出来たものか。
  • 1916年前後の他の作品を観る。所蔵館に高画素スキャンデータなどがあった場合はそれを入手。
  • 西洋美術館の担当者や、絵の具の開発会社から、使われていた絵の具の劣化具合や在りし日はどんなだったか推測を教えてもらう。また、使われていた筆の特定も。
 → 筆の大きさと毛の種類
  • フランスの文化財アーカイブで見つかった、1925年に作品を撮ったネガ板を見に行って、白黒写真をコンピューターに取り込む
  • できれば、タッチの高低差もデータ化したい。等高線などで表出させられないものか
  • 大きな豚毛筆で大作を普段から描いてる画家を招いて、タッチの再現について協力を仰ぐ
  • 使われてた絵の具の顔料等の屈折や波長など、一定の照明環境下での「見え方」を専門家に分析・算出してもらって、コンピューターに覚えさせる

エトセトラエトセトラ。
 どの高さのレベルの復元を目指すのかで、調べる範囲は変わるだろう。私が考えるなら、使われていた絵の具や顔料と、画布の種類、目の粗さの特定だけは外せない。ところがだ。

デジタル界隈での色彩とはどう認識されてるか問題

 デジタル復元画像製作を担当したのは、西洋美術館とは別個のグループだった。リーダーは、文化財のデジタル保存に携わってきた印刷会社・凸版印刷に所属する人。クリエイターとして所属しているらしい。コンピュータの機械学習の担当が、筑波大学人工知能科学センターの研究者で、凸版印刷の人から委託があってのことらしい。*1 デジタル復元部門の作業として番組で最初に紹介されたのが、修復を終えて壁に展示できる状態になったモネの絵を、4億画素の高精細カメラで部分撮影して、コンピューターにデータとして取り込むこと。そしてパリのミュージアムで保存されていた1925年当時の全体像の写真ネガをデータとして取り込んだ。それはいい。ここでナレーション、

白黒部分に、どのような色が付けられていたのか、それを推定するのが、AIです。
飯塚さん(筑波大)は、今回、モネと全く同じ色使いが出来るAIを目指し、独自のプログラムを開発。初期から晩年の200点以上のデータを集め、AIに徹底的に学習させました。

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 ここで、学習の素になった作品画像が何なのか、示されていなかった。番組が作ったイメージ図では、積み藁の絵、サン=ラザール駅舎の絵などが入ってる。見た当初から気になったのは、
「この画像、どこでどうやって集めたの?適当に拾った画像ならば、それはデータとは言い難いのでは?」
 所蔵館によっては、既に詳細なデジタル画像を撮ってアーカイブ構築しているところも多い。そういう高画素のデータを貰ったのならまだしも良いが。採られた手法、段取りなどからも「色が見えるとか色とは何か」についての科学的知識が、この2人はどうも欠けている気がする。特に、番組内で、凸版印刷の人としか紹介が無かったので「エンジニアやデザイナー、営業部の人でもあり得ない」と訝しんだが、肩書きを検索してみたら単に「クリエイター」となっていて、まあクリエイターならさもありなんと納得(イヤイヤ 番組での言葉の意味の正確さ?も全体に、「データ」といい「AI」といい、どう定義して話されてるのか、おぼつかない。これはテレビ番組には往々にしてある傾向だけれども。
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 200作品の画像の機械学習を100万回させたしそうだが、次に、上のように、白黒画像から絵の色をコンピューターに推定させる機械学習を繰り返させたそうだ。
 我々などはすぐう思ってしまうのだが、我々とは違う何か成したいことがあるのだろうか、と見守った当初。*2
 オンデマンド放送で観直して改めて思ったのが、今回の問題の一つに、デジタル復元を実寸大で展示することを最初から目指していたはずだと思われるが、いくら「AIが画像を学習ン100万回やりました」と言っても、ここで着目されていた情報が単に「画像上の色味」のみであって、この情報だけで大サイズの復元図が作れると思ってたらしいところ。これが、小サイズの再現図なのだったら、特に問題はなかっただろう。
 果たして、西洋美術館側の研究者たちを招いての中間報告会のプレゼンでは、出来上がりに違和感があるとクレームが上がった。曰く、

「下半分と上半分が、様式がまったく違うんですよね」
「真ん中の明るく光ってるところ、色味がだいぶ違うんですよね」
「絵の全体のトーンと合わない」

 そこでデジタル復元グループのリーダーの人が

「そういう、明らかに違うところは、こうじゃないよね、こうだよねっていう、推論を積み重ねていくのを…」

と提言する。それへ、西洋美術館の館長さんが、

「修正していくときのね、根拠っていうのが」

と、AIを導入してやる意義そのものを問い直してこられた。失われた部分の色の推定のまさに客観的根拠として、AIの機械学習をもってきたのだが、やはり使う人間側の考え方の問題が浮き彫りになった。
 それから、デジタル復元班リーダーは、モネの若い時の画像データも機械学習に入れたのが間違いだったのではと思い至る。ということで、1916年前後のモネ作品を観に、パリ、香川等所蔵館を訪ねることになった。
 まぁ、年代が変わると、使う顔料や絵の具や画布も手に入る条件も、経済的状況も違ってきたりするので、年代を特定して調べるというのも大事だわな。しかし番組の作りとしては、モネが妻と息子を失い、白内障もあって、その精神状態から若い時よりも暗い色を使うようになっていったのではないか、といういかにも空想的な解説を流していた。

やっと放射線による成分分析が登場!!

 1916年前後の作品を訪ねると、存外に「睡蓮 柳の反映」の習作らしき小品が国内にもあることが分かったりした。えええええ…。今頃になって。それを4億画素の高画質カメラで記録しコンピュータに取り入れ、今度は330万回機械学習させた、と。うーん…。機械学習の数増やしたら今回の再現の性能が上がるとは、どうも思えないのだけど。識者のみなさんにおかれては、どう思いますか?
 ここで、ようやく、絵の具の成分特定で放射線測定が入った。えええ遅すぎないか?これを最初にやれば、復元もはかどったのに。

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 絵の具の成分はカドミウム、クローム等ということで、既製品の絵の具を使用して描かれたのだろうかな。
 さらに、色味の特定だけでは鑑賞に耐えられる復元図にはならない、とようやく気付き、若い画家さんを召喚し、タッチを実際に実寸で書いてもらうことに。

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 緑色の地塗りをした上にタッチを繰り返してもらうのって、クロマキーになってたのね。タッチ一つ一つをコンピューターに取り込んで、グラフィックソフトによって人力で変形させたり、ブラシツールを作って足していったり。

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 結局、AI(とやら)が果たしたのは、色味特定のため数百万回に及ぶ機械学習をしただけじゃないか。後はほぼ人力じゃないか。
 もう一つ問題は、このデジタル復元班がモネの実作をちゃんと観察してから仕事に入ったと思えないところ。タッチの盛り上がりや筆触、絵の具の重ねなど、物質的な表現を無視して、画像で見た色と形にしか着目されていなかった。私は、絵画は写真や画像だけではなく、実作をちゃんと見る必要性を言ってるが、残念ながら、美術史の博士をとった人や若手評論家にすら、このことを重視してない発言を見てきた。↓参考記事
yow.hatenadiary.jp

 文化財デジタル保存で活躍してきて国立西洋美術館から委託請けたような人がまさか、ここまで絵画構造に理解が無いとは、なかなかに衝撃的な番組ではあった。