蠅の女王

小倉涌 画家 美術家 アーティスト 歴史画

猫、逝く。「名前はまだない。」





紙に水彩絵の具、パステル


 うちの三毛猫(♀)が亡くなった。8月17日午前2時半、享年22歳。
 阪神淡路大震災の二年後、元の飼い主から、赤ちゃん猫2匹と共に引き取った子だった。
 当時は未だ家に父がおり、その父が極端に偏屈で融通の利かない人間だったので、赤ちゃん猫は簡単に「しろ」と「ちび」という名前にし、お母さん猫は「みーこ」「にゃあ」「にゃーこ」「みゃーこ」「みゃあ」などと、親族各自で適当に呼ぶようになった。つまり、この子には生涯、固有の名がなく、父が逝ってからもそれは変わらなかった。


 ここでは「ニャーコ」と呼ぶ。とても優しい性格で、仲間に対しても利他的な行動をとる猫だった。新入りの子猫「麦」が来た時も、優しく舐めて同じ寝床に迎えいれてくれた。それでも自分が飼い主に甘え足りないことがあると、リビングでよく粗相をして、飼い主泣かせのところもあった。おっとりしていて、猫じゃらしにも他の子ほど熱狂しなかった。牡丹鼻と呼ばれる、きれいなピンク色の鼻がチャームポイントだった。


 半年前から、げっそりと筋肉が削げてきて、もうお迎えが近いのだなと私は悟っていた。亡くなる前日まではご飯を食べ、階段の上り下りも出来るほど、「こんな老体で」と驚くほど、逞しい一面もあった。
 8月16日朝から容態が悪くなり、臨終までを看取った。Twitterではよく「おばあちゃん猫」として写真をアップしたり面白生態をツイートしてたので、色んな方からお悔やみの言葉を頂いた。


 翌朝、庭の朝顔を供えて、ペット葬儀で火葬してもらい、お骨を拾って帰った。お墓はつくらず、これからも家の中にいてもらおうと思う。


 絵にあるバスケットはニャーコのお気に入りで、すぐボロボロにされたものだったが、個展で出品した『13 maidens' prayer』(http://d.hatena.ne.jp/YOW/20110806/p1)の小道具でもあった。この絵を仕上げてから、結局捨ててしまったが、写真を元にして描いた。